旅の話、そして現在。

  • 2013.02.18 Monday
  • 20:30

naoto suzuki × mommy's
live at yoyogi labo 2013.2.11
photo by miyuki


昔、二十五歳の頃、日本の社会から人生二度目のドロップアウトをして、当時同棲中だった彼女を置いてアジア放浪の旅に出た。まだバックパッカーなんて言葉が世間に浸透していない頃の、進め!電波少年という人気番組で猿岩石がヒッチハイクの旅へ出る前の頃の話だ。
成田=バンコク間の一年オープンチケットを当時六万五千円ほどで購入し、その他のルートや交通手段や宿などはほぼノープランのまま現金二十万円とTC五万円だけ持ってバンコク入りし、しばらくの間のんべんだらりをキメ込んだ。着いて早々バンコクの安宿でトラブルに遭い、僕は大切な旅の資金を九万円も失うことになったが、その後気持ちを取り直してタイをバスで縦断した後で中国の昆明へ入り、それから大理、成都、西安、そこからシルクロードを横断して万里の長城の果てまで。

その後は敦煌、ゴビ砂漠を抜けてチベットはラサ。ラサへ向かう際は少しでも出費を抑えたい気持ちと冒険心から、中国人しか乗ることが出来ないバス(現地では闇バスと呼ばれていて、正規料金の四分の一程度でチケットを入手出来た)に人民解放軍の変装をして乗り込めたまではよかったが、途中三回ほどある検問所の最初の検問所で日本人であることが公安にバレて、出発地点であったゴルムドの町まで強制送還されて公安局に一日拘留された挙句、罰金まで取られて余計に高くついた。
悔しいので翌日にまた闇バスに乗り込んでやろうと町外れのターミナルへと向かってみると、僕のせいでゴルムドの町へ戻るハメになったそのバスが、乗客である人民たちと共にまだ立ち往生していて、僕の姿を見つけるや否や、お前はもう来るな!と叫ばれて石を投げられた。
後にも先にも、あんなに人から敵意を剥き出しにされて投石されたことは初めてであった。

その後五千メートル級のヒマラヤ山脈を三度越える五十五時間のバスの旅をしてネパールはカトマンズ、そこからポカラ、キルティプルにバクタプル。ネパールからインドへは、途中で乗っていたランクルが事故に遭ったりもしたが、スノウリという小さな国境の町に辿り着き、そこから三十キロほどあった荷物を背負いながら、アップダウンの激しい山道を十キロほど徒歩で越境し(盗賊や山賊が出ることで有名な悪名高きルート)ゴーラクプルからバラナシ、カルカッタ。当時まだ在命していたマザーテレサにも会いに行った。
出来ることなら最低でもイスタンブール、欲を言えばヨーロッパへもお金が続く限りどこまでも行きたかったが、先述したようなトラブルが何度かあったせいで旅の資金も尽き、結局五カ国程度しか旅することが出来なかったが、その旅の間に起きた出来事や人々との出逢いは今も大切で貴重な思い出であり、今をたくましく生きるための礎を作ってくれた青春の大事な時間でもあった。

旅へ出た理由は、何だっけな。
時間だけはいくらでもある。
だからとにかく出来るだけ遠くへ行きたかった。
二十代前半の男なら殆どといっていいほどに陥る自分探しみたいなモノ、と言ってしまっても間違いではないと思うけれども、とにかく、何にイラついているのか何に焦っているのかも分からないようなそんな青い日々の中で、誰の手も力も借りずに何か大きなことを自分の力だけでやり遂げたい、という気持ちが強くあったことだけは確かだった。
でもそんな目的を持った有志ある旅も何ヶ月も同じことを続けていれば目的を失って、今していることは旅なんかではなくただの放浪だ、と気付いた僕は、放浪の旅を終えて再びバンコクの地を踏んだ。
その時は確かに自分が一回りも二回りも大きくなったような気がしていたが、日本へ帰るための支度をバンコクの安宿で一人している際に、長い旅の間に起きたことや出逢った人々のことを回想していたらとめどなく涙が出てきて、旅へ出る前の自分の考えがいかに浅はかで愚かな考えであったかを知ることになった。

誰の手も力も借りずに何かを成し遂げる?
そんなバカげた話があるか。
もし仮に誰の手も力も借りずに人生を生きてきたつもりなり、今現在まで生きてきたと言うのなら、その人は何て孤独で哀しい人間だろう。何て孤独で寂しい人生だろう。
確かに僕は、宿の手配からビザの発行、旅券の手続きから何から何まで自分で行って、確かに、それは確かに誰の手も力も借りずにすべての国々を自らの足で回ってきたが、旅の道中で知り合って飯や酒を共に食らった人や、出逢った異国の人々の優しさに触れていなければ、この旅はこんな鮮やかに彩られることなくいつまでもモノクロームのままで、僕はとっくに旅を終えてとっとと荷物をまとめて日本へと帰っていたことだろうな、と考えたからだった。

そう、僕はそうした人々との出逢いに心を震わせて笑ったり喜んだりして、時に手を振って別れて涙したりする度に背中を押してもらい、歩を前へと進めることが出来たのだ。
だからあの旅以降、僕は一人で何かをしてやろうとか、一人で生きていこうだなんてそんなバカげた考えは捨てたし、捨てたおかげで人の優しさに触れる機会が多く訪れて、そのおかげで人に感謝する機会が劇的に増えた。
それは僕のような陳腐な人生の中でも得ることが出来た、かけがえのない大きな財産でもある。

先日の水曜日、音源提出〆切間近の僕のために夜を通して朝までレコーディングに付き合ってくれ、素晴らしいギターを吹き込んでくれたThe Bluestoneのちかちゃんこと近沢博行くん。
出来上がった音源の僕の演奏は、弾き語りの一発録りということを差し引いてもとても褒められたようなモノではないけれども、その代わりレコーディングの概念みたいなつまらないモノは取っ払って、大事なモノはそこに閉じ込められたと思っているし、ちかちゃんの息吹が新たに吹き込まれたことによって、祇園で見た蛍が遠く東北の地まで飛び立っていく光景が目の前に浮かんだ。
今僕と共に音を奏でてくれているTEPPANのボブちゃんや539'sのミックちゃん、いつも僕のことを応援してくれているお客さんや友だち、そして家族。
僕はすべての人々に感謝している。
自分一人で生きていないことにも、自分一人で生きられなくなってしまったことにも感謝している。

だって手をつないでごらん、ギュッと抱きしめてごらん。
聴こえてくるだろう、他の誰でもない、自分の中のドキドキとした鼓動が。
共有するからこそ共鳴する。
共鳴するからこそ共感する。
共感するからこそそれを大事に拡げたいと思う。
それが今、この歳になって本当に嬉しいと思うんだ。


naoto suzuki × mommy's live at yoyogi labo


naoto suzuki × mommy's live at yoyogi labo
photo by miyuki


いつまで経っても青臭い男だけれども、これからもよろしくね、本当に。

今までの出逢いと、これからの出逢いに、ワンダフル。

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