自転車ストロー

  • 2016.03.04 Friday
  • 20:10


「さ、早く帰らないとお母さんが心配するよ!」
姉のその言葉で、スーパーのジューススタンドでクリームソーダを飲んでいた少年はいそいそとソレを飲み干し、ストローだけを名残惜しそうに口にくわえながら、急ぎ足でスーパーを出ようとする姉の後を追った。夏も真っ盛りの八月、小学五年の姉と二つ違いの弟である少年は夏休みの真っ只中で、暑さに茹だりながら部屋でゴロゴロとしている様子を見た母親が、いつまでも家でゴロゴロしていないで外にでも行って来なさい、と言って、伯方の塩と胡麻油、あとはボソボソになりかけているお父さんの豚毛の歯ブラシを一本買って来てちょうだい、との使いを頼まれて、姉と少年は自転車で家から十分程の距離にあるスーパーへと買い物へ来ていたのであった。

「ねえちゃん、無線ごっこしながら帰ろうぜ!」と少年は言った。
しかし姉はそんな少年の言葉など気にとめず、そそくさとスーパーの自転車置き場へと向かうと、
「くだらないこと言ってないで、ほら、早く行くよ!」
と言って買い物袋を自転車の籠に入れると、脇目も振らずに先へと自転車を走らせた。少年はくわえていたストローを自分の自転車のハンドルについてあるベルの隙間へ無理やり挟みこみ、まだクリームソーダの甘い香りが残る口元の蛇腹の部分をククッと自分の口のほうへと曲げると、
「応答願います!応答願います!」
と無線機のマイクに見立てたそのストローの先に向かって叫びながら姉の自転車を追った。無線ごっことは、たった今少年が思いついたことで、自分と同じように姉にも自転車にストローを取り付けてもらって、応答願います!と言ったら、了解!などと応答してもらいながら自転車を走らせて欲しかったのだが、無線ごっこをするにもそもそも姉はストローをすでに捨ててしまっていたし、そんな頓知間なくだらない遊びに小学五年にもなった姉が付き合うはずもないことが、少年にはまだよく分かっていないようであった。

「待て待てーー!待つのだーー!」
先をゆく姉と少年の距離は、二トントラック三台ぶんくらい離れていて、姉は下に国鉄が走る陸橋のふもと付近へとすでに差し掛かっていたが、あの陸橋を越え終えるまでには姉の自転車を追い越してやるのだ、と少年は強く決意し、鼻息をいっそう荒くして立ち漕ぎをしながら姉の自転車を猛追した。少年は陸橋の上り坂を一気に上り切り、下り坂の中腹付近でついに姉の自転車を捕らえると、少年は前傾姿勢でストローの先に向かい、
「発見!発見!ただいま敵を捕らえました!」
と叫びながら姉の自転車の脇をすり抜け、ついには追い越したのであった。
「おーー!いえーーーーぃっ!!」
無線ごっこなのだから、敵もクソもないはずなのだが、少年はこの戦いの勝利者となり、得意気になって姉のほうを振り向いた、その時である。

立ち漕ぎをやめてサドルに座りかけた際、猛スピードで走っていた自転車のペダルから少年の足が外れて路面に足が付くと、瞬時にしてバランスを崩した少年は転倒してしまい、多くの車やトラックが行き交う車道へと自転車ごと投げ出されてしまった。あまりに一瞬の出来事に、少年はいったい自分の身に何が起こったのか分からなかったが、投げ出された少年の体と自転車は少年の意思で止められるはずもなく、陸橋の下へ下へと転がることを止めなかった。
少年のすぐ後方を走っていた青い色をしたダンプカーが、その重い体を制止しようと、すさまじくも忌々しい大きな音を立てながら急ブレーキをかけ、それは少年のすぐ足元で止まった。
「バカヤロー!」
大きな怒声が仰向けに倒れている少年の頭の上から聞こえて、トラックのドアが激しく開かれると、白い汚れたタンクトップを着た屈強な男が血相を変えながら降りてきて少年の元へと駆け寄ると、
「大丈夫かおい!」と倒れている少年の細い肩をさすった。
「うぅぅ、、うぅ、、、」
少年は路面を転がっている際に顎と肩、肘と裏太ももを強かに擦りむいて、特に半ズボンから覗く右足裏太もも辺りは広範囲に渡っての擦り傷を負っていて、霜降り肉のようになって赤い血が滲み出している擦り傷の中には細かい砂利が多数食い込んでいた。男は少年の小さな手を握りながら、「頭打ってないか、大丈夫か!」ともう一度問いかけた。
「うぅ、すいませんでしたぁー、、、」
少年はそう言って路上に座りながらペコリと男に頭を下げると、男は少年の顔と体をくまなく凝視して確かめた後に、「よし!」と言って、握ったままの少年の手を引き上げて立たせると、少年の頭をクシャクシャと激しく撫でながら、
「気をつけろよォー、こんなところでお前、、、危うく轢き殺すところだったぞ!」と言って、少年は、「うぅ、ごめんなさぁい、、、」と言って再び頭を小さく下げた。

陸橋の片側車線がそのダンプカーを先頭にして渋滞を起こし始めていて、その反対側車線では、そんな少年と男とのやり取りを、何事か、と思うような目で見ながらゆっくりと車が傍を通り過ぎていた。そしてどこの誰かかは分からないが、道路の真ん中まで放り出されてしまった少年の自転車を押して陸橋の壁にかけてくれていた。そんな最中、心配もせずに後ろで大笑いしていたその姉とは、少年であった僕の、実の姉である。まったくひどい人だと思う。

その後、白い汚れたタンクトップを着た男が運転席からヨレて古びた絆創膏を二枚持ってきて、その太い指で少年に渡すと、
「貼っとけ。でも家帰ったらちゃんと手当てしとけよォ、気をつけてなー」と言って僕の頬を軽く叩きながらニヤリと笑い、後続車の運転手に軽く頭を下げながら足早にダンプカーへと乗り込むと、荷台からバラバラと砂利をこぼしながらその重そうな体を再び手荒く動かした。やがて渋滞していた車列が正常な流れを取り戻すと、僕は壁にかけられた自転車のもとへびっこをひきながら歩いてゆき、ひしゃげて歪んでしまった前輪を、少し先にあったガードレールとガードレールとの間に挟み込みながら、必死に元に戻そうと試みたが、車輪はいつまで経ってもひしゃげたままの形で、元通りの姿には戻ってはくれなかった。

姉は本当に可笑しい、といったように笑いながらやっと僕のもとへやって来ると、
「だいじょぉーぶー!バカだなぁもう!」と言いながら、霜降り肉になった僕の裏太ももを覗き込んだ。
「うるさい!なに笑ってんだよ!」と僕は泣きそうな声で抗議した。

「なおちゃん、そんな自転車はここに置いて、おねえちゃんと二人乗りして帰ろ」
「ねえちゃんのバカタレ!」
「なんで?なんであたしがバカタレなの!」
「ねえちゃんなんて嫌いだ!この薄情者!」
「なんでー!なおちゃんが一人で勝手に無線ごっこしようなんて言って勝手に転んだんでしょー!」
「うぅ、、、!姉ちゃんなんて嫌いだ!先に帰れ!」

僕はひしゃげてしまった自転車を押しながら、家までの道のりを歩いた。先に帰ってしまっていたと思っていた姉が、陸橋から少しばかりいった曲がり角を曲がったところで待っていて、傍に来た僕の額を笑いながら突つくと、持っていたピンクのハンカチをそっと太ももの傷に当てながら、
「あーぁ、痛そ!本当にバカなんだからぁ、お家帰ったらすぐ手当てね、さ、帰るよー」と、さっきの男と同じことを言って、僕は痛い痛い、と言いながら、僕に代わって姉が押してくれている僕の自転車のひしゃげた車輪が、歪曲しながらクルクルと回り続ける様をぼんやりと見つめながら歩いた。
それがひどく天気の良い日で、あちこちに大きな入道雲が生えて空を塞いでいたことはよく覚えている。けれども無線機のマイクに見立てたストローがどこへ飛んでいってしまったのかは僕には知る由もなかったし、知る必要もなかった。

あれから何十年という月日が流れて、僕は少年から青年を飛び越えて中年になってしまったが、大人になった今も、そこがモスバーガーであろうとマックであろうと、こうしてストローを見るたびにあの時のことを思い出す。
遠く、青い日々の、まだ恋も知らぬ頃の思い出の一頁である。

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