生でダラダラ書かせて!

  • 2014.11.26 Wednesday
  • 18:05


普段あまりテレビを見ない僕は、部屋にいる時はだいたいいつもCDを聴いているかラジオを流しながら過ごしている。
だからといって別にテレビが嫌いというわけではなく、世界の果てまでイッテQ!等好きなテレビ番組ももちろんあるのだが、一度テレビを見始めるといつまでもダラダラと見続けてしまう脆弱な自分の意思というか、他意によって時間を支配されてしまうあの感じがどうも好きになれないのだ。
ただ、一分一秒の戦いとなる朝であればまた話は別だ。確かな時刻が常に画面上に表示されているのは実に有難いし、何といっても起き抜けから見る夏目三久は目を覚ますのに充分な煌めきを放っている。
夏目三久はかわいい。でもやっぱり僕は井川遥とビビアンスーが好きだ。

ちょっと話が逸れたが、その点ラジオはいい。
画面が無いおかげで夏目三久やウイスキーCMの色っぽい井川遥に目を取られることもなければ、どこかの町でこんな祭りがあって神輿が住居の壁を破壊しました、とか、新橋のサラリーマンに聞きました、あなたの女房、太ってますか!なんだそれ?みたいな、自分には必要のないニュースに時間を奪われずに済む。
そんな余計ともいえる情報が多いテレビに比べて、自分が必要としている情報や興味のある話しか耳に入ってこないところが、テレビに勝るラジオの良いところだろう。

僕はこう見えて、宇宙についての話には深い興味があり、夜になって星が見え始めると決まって火星を探してしまうのだが、それがなぜ火星なのかは自分でもよく分からない。
特に火星が好きというワケではないし、火星だと思っていたら実は木星だった、みたいなこともある。
まぁ火星も木星も見つけやすいからとか、きっとそんな単純な理由から取る行動なんだろう、特に意味は無い。
それに火星なんかよりもずっと月のほうが好きだ。

宇宙の話が好き、ということは、つまり我々の住む地球にも興味があるわけで、地球に興味があるということは、地球温暖化問題やその他人類が抱える問題にも深い興味を持っている。
自分の可愛い子供たちや可愛い孫たちの住む未来が、地球温暖化の煽りを食らって大変な暮らしを強いられてしまうことを考えると、これは大変なことだぞ、と地球の将来を憂いてならないが、実際の自分の生活の中で何か気を付けていることはあるか、と問われれば、どれもこれも小さなことばかりで、どちらかといえば、懸念している割には地球に良くないことばかりしているのが現状だ。
だってライブなんてものすごい電気を使いまくりじゃねーか!

そんなこんなで今日のお昼のラジオ。
どこかの教授を招いての議題は地球温暖化について。
CO2が増えていること自体はそんな大した問題ではない。長い地球の歴史の中で今よりもCO2が多く存在していた時代もあったし、CO2に関して言えば、増えていることよりもその増え方のスピードのほうが問題なのだ、みたいな話をコメンテーターの女の人と交わしていたのだが、注目したのは次の発言だ。

「歴史を紐解いてですね、ただ一つだけ明らかに分かっていることは、生物界の頂点に立ってしまった生物は必ず絶滅している、ということなんです」
あー、これは昔聞いたことがある!
「その点昆虫は、地球の生物界に於いて、長い間常に二番手三番手の存在として種を維持していて、これは戦略としてかなり優れた戦略を本能的に取っていると思われます」

その教授に言わせれば、生物界の頂点に立ってしまったヒトは、CO2云々の問題に関係なく、必ず絶滅する運命にあるのだから、その辺を考えながら、その時がやってくるのを何百年後にするのか、何千年後にするのか、ただそれだけのことなんですよ、と実に潔く分析して説明してみせた。
うーん、確かになぁ、コレ、いきなりスケールが小さくなるが、僕の「恋の番付理論」にも少し共通する部分もあるかもしれない。

『恋の番付理論』

地球史上、最も高度な知能を持った人類だけは絶滅しない、と信じて疑わない人たちも世の中にはたくさんいるのだろうが、いつまでもヒトが支配している地球を僕も想像出来ないし、ヒトが絶滅した後、次に地球を支配するのはイカだとも言われている。
夏目三久がかわいい、とか言っている場合ではなくなる、何せ相手はイカなのだ。

まぁけれども、そうして人類が絶滅してイカが地球を支配したとしても、それからまた何千何万何億年と経ったずっと後になって、再びヒトのような生物が誕生したとしよう。
世界中の地中深くから人類が残した遺産が幾つも発見されて、例えばそれがCDやDVDだとしても、これは何のために作られたモノなのか、これは昔のヒトが宇宙人と交信するためにこんなふうに頭に乗せていた、とか、そんな議論を交わすんだろう。
じゃあ真ん中のこの穴は何なのだ、、、いや、それはですね、その穴からこんなふうに空を眺めていたんです、なんて真似て見せて、他の学者から、そんなバカな!なんて野次られたり、これが宇宙から飛来してヒトは絶滅した、と激しい憶測の議論が交わされる、、、のなら、ヒトも恐竜のようなミステリアスで夢のある存在に昇華出来るのだろうが、CDは売れず数は減るばかり、記録したデータだって数十年もあれば消えてしまうだろう。
iPodの中のデジタル音源やパソコンの中の写真たちなど、未来のどんな優れた考古学者でも復元はすることは不可能と思われる。
そもそも人間が英知を集めて作った強固な建造物でさえ、放っておけば三百年も持たないし、残るモノは古代人が石に記した記録、ピラミッド、万里の長城、ラッシュモア山くらいなのではないか、と言われているくらいだもんね。

そんなくだらないことを考えていると、この私たちの地球を大事にしよう!なんて言ったところで地球はそんなにヤワではないし、ウヤムヤにされてしまっている原発問題も含めて、我々は地球の未来を憂うよりも、人類の未来を憂いて大事にしなければいけないね。
それはつまり、一人一人が傍にいる人を大事にすることで広く繋がってゆくことでもあるのだけど、それさえも思うように出来ないのだから、ヒトって、自分って、本当に未熟な存在だよな。

いやいや、ラジオの話からやたら長くなった。
そうそう、Twitterのほうで一年半ばかり『鈴木ナオト歌詞bot.』なるモノをやっていたのだけど、一年半もやっていると同じ曲のフレーズが繰り返しツイートされることになるし、それはタイムライン上を荒らすというか、目障りなモノになっていないかな、と思い、潔く辞めました!
今までフォローしてくれていた人たちにはこの場を借りてお礼を言いたいです、どうもありがとう。

その代わりと言ったら何だけれども、このワンタイ上に「歌詞」というカテゴリーを追加したので、今後はbot.のような抜粋形式ではなく全文を、曲によってはプチ解説付きで気まぐれに少しずつ更新してゆきたいと思っているので、興味を持ってくれる方は、ブログと共に歌詞カテゴリーのほうも覗きに来てくださいね!

それから今週29日の土曜日から30日日曜日の夜まで、代々木labo10周年を祝う30時間ライブが行われます。
わたくし、鈴木ナオトは出演60バンド中52番目、30日日曜日の16時半頃の出演を予定しています。今回はベースがいつものうみんちゅ(アイノライト)ではなく、nainaiboysの長谷川太一くん、そしてお馴染みギターは近沢博行くん、ドラムにAs'Frankの木本泰平くんを迎え入れてのナオトバンドでの出演、そしてこの日がナオトバンドとしては今年最後のライブとなります。
たった三曲のステージだけど、スイカのように思いをギッシリ詰め込んだ熱いステージにしたいと思っているので、楽しみにしていておくれ!

そんなわけで皆さま、相変わらずの長いブログとなりましたが、すっかり寒くなってきたし、どうぞご自愛のもとに身体冷やさないように気を付けてくださいね。

あぁ、電車の中で目の前に座る女の子のスカートが短すぎて、寒くないのかと心配になります。
でもスカートと説教は短いほうが良い!ワンダフル!

他愛の無い、煮え切らない話

  • 2014.08.29 Friday
  • 12:31


ジャン・ジャックベネックス監督の『ベティ・ブルー』という映画の中で、ベアトリス・ダル演じるベティが、小説家を夢見ながらもパッとしない自堕落な日々を送り続ける、ジャン・ユーグアングラード演じるゾルグに向かって、少しはあなたを尊敬させて!と詰る場面がある。

この映画に初めて触れたのは自分がまだ高校二年生の時で、冒頭からいきなり画面いっぱいに始まるベティーとゾルグのセックスシーンや、ゾルグ三十歳、ベティ十八歳という歳の差の設定を始め、ベティの痛いほどに真っ直ぐなゾルグへの愛情の傍らで、ベティの奇異に満ちた言動や行動を必死に受け止めようとするゾルグの歪んだ愛情、激情の日々の中に溢れるユーモアやその果ての顛末に心を奪われて、たぶん今日までの人生の中で最も繰り返し多く観た映画だろう。
ベティーブルーという映画は、世間一般的に重い映画と捉えられている節があるけれど、それは確かに間違った解釈ではなく、後味が決して良い映画とは言えない。
けれども後味も決して良くはなく、身体にも良くないジャンクフードを今も多くの人々が食べ続けていることと同じように、ベティーブルーという映画は説明し切れない魅力と、ハマる人には何度でも観たいと思わせる強い副作用を持っている。
なので影響を受けた場面や印象に残っている場面はたくさんあるし、そこに付随する好きな台詞もたくさんある。

けれども今、自分の胸に去来して頭の中に繰り返し聞こえてくるのは、
「少しはあなたを尊敬させて!」
と激しくも哀しく詰るベティの声。
その台詞だけが聴こえてくる。
それが自らの耳と胸にひどく痛く響くのだ。

尊敬出来る人間が周りにいてくれることは幸せなことだ。
なぜなら、その人の生き様やその人が発する言葉から多くを学ぶことが出来るし、結果として自分の背中を押してもらえる恩恵に溢れているから。
まぁね、尊敬なんていう感情は理由が無ければ始めから存在しているはずなくて、強いて言うならそれは尊敬ではなく「憧れ」であり、決して尊敬という大げさな感情なんかではないし、そもそも尊敬なんて感情を始めから抱いていたらお互いのパワーバランスも含めた関係が偏ってしまうこともある。
尊敬とは時を重ねて相手を知った上で芽生えてくる確信的な感情であって、相手のことを大して知りもしないのに好きと言ってしまうような、そんな軽薄な思いとは違う。
簡単に人を好きになる人は信用しない。
よく言っていることだけれども、簡単に人を好きになる人は、同じ力で簡単に人を嫌いになることが多いから。
ただ、大げさな感情とは言ったものの、尊敬という思いはそこまで重いわけではないし、立派である必要も無い。
とんでもないろくでなしな人間でも、十あるうちの一つでも尊敬出来る部分を相手の中に見出すことが出来れば、その一つの力でどうしようもない残りの九つも許せてしまう。

つまり尊敬とは、相手のダメなところも含めて愛し許せることだと思っている。

最近思う。
教えてもらうことと、導いてもらうことは違うのだ、と。
その逆もしかり、教えることと導くことは違う。
人に教えることなんて誰にだって出来る。
それが分かりやすいか分かりづらいかはまた別の問題としても、
例えスーパーで働くやる気のないパートのおばちゃんだって、レジ打ちやレジ締めくらいは人に教えることが出来る。
あれをしろ、これをしろ、これはこうやるんだ、いいか、わかったか。
そんなことは居酒屋にいる酔っ払いのオヤジにだって出来る。
けれども相手の心をグッと掴み、まるで手を引かれ導かれるように、今までとは違う景色が見える場所へと人を導くことが出来るような人間は早々いない。

そう、早々いない。自分もそんな人間だ。

あの時ベティーがゾルグに対して放った「少しはあなたを尊敬させて!」と詰った意味は、いつまで経ってもベティーを外の世界へと導くことが出来ずに、ずっと煮え切らない場所へ滞留しているそんなゾルグに対しての感情が爆発して口をついた言葉なのかもしれないし、簡単に言ってしまえば、あなたにもっと夢を見させて欲しい、という意味だったのかもしれない。

磨けば光る宝石だと信じて手にしていたモノが、実はただのガラス玉だった。
実はガラス玉だと思っていたモノが、実はとんでもない宝石だった。
無論、ガラス玉と宝石の価値は違う。
けれど遠目から見てその違いが分かる人間がどれくらいいるだろう。
それこそ専門的な知識や見識が無ければ、近くで見たところで見分けは困難だ。
もう一度、ガラス玉と宝石の価値は違う。
けれど素晴らしい宝石を身に纏っていたって似合わない人は似合わないし、ただのガラス玉を身に纏っているだけなのにキラキラと輝く人だっている。
ユニクロの服がダサいのではなく、それを着こなせない人間がユニクロを着るからダサくなるのと同じ。
極論を言えばガラス玉でも宝石でも何だっていいわけで、人生は自分に似合う服を見つけた者の勝ちなのだ。

それを見つけるまでの間は勘違いと恥はワンセット。
目指すモノがあるのなら、勘違いも恥も悪くは無いし怖くもない。
けれども、自分のせいで他の誰かを煮え切らない場所へとずっと滞留させてしまっているとしたらどうだ。
それはあまりに不本意なことだけれど、そんなことを考えると怖くなる。

尊敬といえば、俺はビートたけしも尊敬する人間の一人で、これは以前もワンタイに書いたことなのだけど、たけしが昔のバイク事故のことについて語っていた記事を読んでね、その頃たけしは映画を撮り始めてしばらく経っていた頃で、けれども周りや世間から全く評価してもらえずに、俺ダメなのかな、俺の感覚は鈍ってるのかな、って、自暴自棄になって酒飲んでバイク運転して事故ってあんな酷い事故になっちゃった、って書いてあってね。
あのたけしがだよ?
あのたけしでもそんなことを思うのか、って、衝撃と安堵が同時にやってきた。
もちろんビートたけしと自分を比べることなんて無いけれども、この逸話は時折自分をふっと励ましてくれる印象深い話として、今もよく思い出す。

俺はつまらない歌を歌ってるのかな、と、時々ヘコむ。
だけれどあのたけしだってそんなことを思うのだからみんな同じなのかな、とやっぱり考える。
自信満々のヤツなんてむしろ信用ならないし、きっとそんなことを考えている自分こそが自惚れているのかも分からないよね。
どんなに哀しいことや苦しいことがあっても笑っている人間はいるし、人に対しての醜い嫉妬を胸に秘めていても寛大なフリをしている人間はいるし、ホントのことなんて分からない。
だって世の中でたくさんの秘密が潜んでいる場所は、人の胸の中だからね。

だから話はまた戻るけれども、ベティーブルーの何が哀しいって、ベティーがいったい何を考えて、どんなことを思っていたのかがまるで分からないまま物語が終わってしまったことなんだよね。
あなたのことが嫌いになったの。
他の人を好きになったの。
だから今までありがとう、さようなら。
それでいい。
その時は苦しいけど、分かりやすいじゃない。
でもね、何を考えていたのか結局分からないまま別れてしまう。終わってしまう。
コレ、一番哀しくて引きずるんだよね。
だから分からなかったことを少しでも知りたくて、また触れたくて観てしまう、それがベティーブルーという映画の本質。つまり残酷、ってこと。

別にベティーブルーの映画について書こうとしていたわけではないのに、随分とベティーブルーの話が長くなってしまった。
でも誰かの背中を押してあげれるような、誰かを安心させる場所へと導いてあげれるような、せめて一つの扉を開けて風通しを良くさせてあげれるような、そんな人間になりたいよね。

たぶんそんなようなことを書きたくて新曲の歌詞を書いていたのだけど、途中で煮詰まって気晴らしでブログを書いてみたものの、歌詞同様こっちも何を言いたいのかよく分からない煮え切らない話になってしまった。一ヶ月ぶりの更新なのに!
というより、一ヶ月ぶりに書いたりするからこんなことになるのだろうね。

そんなわけで皆さま、スーパーにサンマが並び始めましたよ。
秋の魚といえばサンマなのに、鰍はサンマではなくカジカ。サンマは秋刀魚。
でも、タチウオに太刀魚という名称が付けられたことを思うと、サンマが何故鰍ではなくて秋刀魚になったのか実に合点がいく。

それでは新曲の歌詞を書く作業に戻ります。
涼しいって、頭の中もサラッとして気持ちがいいよね、実に。
この曇り空の向こう側には秋の空が待っている。
秋も、新曲の完成も待ち遠しい、そんな昼下がり。

音楽と人、というイベント前に思うこと

  • 2014.04.18 Friday
  • 00:59


皆さまこんばんは、二月七日以来の久しぶりの更新です。
今日までの間、別にこれといって多忙な身だったワケでも監禁されていたワケでも愛人との逢瀬に勤しんでいたワケでもなく、ただ人並みの忙しさの中での生活を送っていただけなのだが、やはり今まで何度となく話してきたように、ツイッターで中途半端に言葉を発してしまっているぶん、ブログのほうまで意識が回らなくなってしまい、あれよあれよという間に時だけが過ぎてしまった、というのが正直なところだ。

しかしそれにしてもあまりに久しぶりで文章の書き方をすっかり忘れてしまいそうなほど間隔が空いてしまい、ワンタイことこのブログを二ヶ月も更新しなかったことなんて今まで無いのではないか?と思い調べてみたら、これがあった。
一年前のこの時期にも、二ヶ月近く更新されていない時があったのだ。
そう思うと、なるほど、これはきっと花粉症の仕業で集中力と思考能力が寸断されているせいなのだろうな、という浅はかな結論に無理やり落ち着けてみる。

かれこれブログを書き始めてから今年で十一年目になるけれども、このワンタイを始めた2003年当時はまだ世の中にツイッターはもちろん、SNSの先駆けとなったミクシィさえも無かった頃で、ブログというツールは自分の気持ちや活動の様子を伝えることの出来る唯一のツールであり、以前、今は無き『新風舎』という出版社から、ワンタイの『〜を語る』シリーズを書籍化しませんか?なんて話を持ち掛けられたほど、四年前のブログサーバ消失までの間はかなりの頻度で更新を重ねては毎日のように更新していたものだ。

でもダメね、書かないと書けなくなる。
読まないと読む力も無くなるように、読む力が無くなると書けなくなる。
人の話を聞く力が無いと話す力が無くなるのと同じ。
それは逆もまた然り。
字も書かなきゃ下手になるのと同じ。
それは曲も例に洩れず、曲が出来ないと嘆いている時は、曲を聴く力も無いし、そもそも作っていないから出来なくなる、あの感覚と同じ。
ワンフレーズでも何でも、とにかく作ってさえいればそのうち作る力が知らず知らずのうちに身に付いてくるものなんだよね。

ものすごく横暴なことを言えば、曲なんていくらでも出来る。
よく、その辺にある説明書とか、まぁ文字があればそれは何でもいいのだけど、それを歌詞代わりにしてギター弾いて勝手にメロディつけて歌ってみたりする遊びをするのだけど、そういうことをやっているとホントいくらでも曲は出来る。
ただ、それはあくまでも遊びであり、例えば他の誰かの曲を踏襲したようなものであったり、自らの既存の曲とかぶるような曲であったり、とてもオリジナルとしてクレジット出来るような曲ではないことが殆どなのだけど、そういう遊びから派生して生まれる曲も稀にあったりして、それが「まるい月」だったり「ミザルキカザル」だったり、やっぱりどんな形や方法であれ、そこに触れ続けて動きを止めないこと、というのが大事なんだよね。

去年、ミザルイワザルキカザルをテーマにして曲を書きたいな、と考えている頃、ちょうど車に乗って停車している際にハザードのカッカッカッカッ、という音をぼけーっと何となく聴いているうちに「ミザル、イワザル、キカザル、、、」と、リズムに合わせて口ずさんでいたら、歌詞も同時に一気に曲が出来てね。
まぁこれはあまりに簡単に出来てしまったので、ふざけすぎかな、とちょっと笑ってしまったけど、それもきっと、頭の中でこれを形にしたいと常に考えを巡らせていたからこそ、ハザードランプの音がきっかけになって曲をもたらしてくれたのだろうと思っている。

でもね、曲の話で最近思うのは、俺は曲を作りたいというよりも、歌を作りたい、という思いのほうが強いんだよね。
そちらのほうがより正しい言い方というか、ね。
楽器を演奏するのは楽しい。
だけどそれ以上に自分の想いを詩にして歌える人間で良かった、って、そう思うんだ。
ライブだってそう。いい演奏をして、上手い演奏を聴かせて、お客さんを気持ちよくさせたい。
それはもちろんそうなのだけど、それがリハーサル通りのお決まりの形としてでしか進んでいないモノだとしたら、それは自分にとってライブではなく、ただのコンサートに成り下がってしまう。
俺はコンサートがしたいんじゃないんだ。
ただただライブがしたい、それだけなんだよね。

時々、いや、これはしょっちゅうになるのかな。
素晴らしいな、と思う人のライブを観ている時もそうだし、観た後もそうだし、メンバーも含めた色々な人たちが自分の曲を聴いた時の反応やらを見たり感じたりした時、俺はつまらない歌を歌ってるのかな、とヘコむことがよくある。
でもね、以前ビートたけしが昔のバイク事故のことについて語っていた記事を読んでね、その頃たけしは映画を撮り始めてしばらく経っていた頃で、でも周りや世間から全然評価してもらえなくて、俺ダメなのかな、俺の感覚は鈍ってるのかな、って、自暴自棄になって酒飲んでバイク運転して事故ってあんな酷い事故になっちゃった、と書いてある記事を読んだ時、あのたけしが?あのたけしでもそんなことを思うのか、って、衝撃と安堵が同時にやってきた。

ビートたけしと自分が同じだなんてこれっぽっちも思っていないけれども、あぁ、みんな同じなのかな、って、周りから見てすごいと思っている人も一人の人間で、目に見えないところではそんな葛藤やコンプレックスを抱えているものなのかな、と考えたら一気に気が楽になった。

昔、若い頃に観て深く感動して影響を受けた『ニューシネマパラダイス』という映画の中で、ローマに旅立つトトにアルフレードが語った言葉でね、ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ、という名台詞があるのだけど、それは苦しい時や何かに迷った時に今も自分の胸の中に去来して、そっと背中を押してくれる。

アルフレードがトトに送ったそんな言葉のように、自分の曲もそんなふうに誰かの背中をそっとでいいから押してあげれることが出来たら、と願う。
俺は自分のために歌ってはいるけれど、それはその向こう側に伝えたい人がいるからなんだ。
お腹が空いた、だから何かを食べたい。
それでいい。それで充分だ。
でもね、自分一人だけのことならいくらでも粗末にもなる。
でもその時に目の前の誰かもお腹が空いているのなら何かを作ってやりたいし、一緒に食べたいと思う。
そして一緒に美味しい!と言いたいし、笑いたいと思う。

俺にとって音楽とは、歌とはそういうものなんだよね。

今日四月十八日は、記念すべき自身初企画の『音楽と人』と名付けたイベントが新宿OREBAKOで開催されます。
この記念すべき第一弾、音楽と人に出演してくれるSACHIOちゃん、ボクアコ、ノンアルコール、riry*monaちゃん、斉藤省悟、As'Frankのみんなが思い思いのパフォーマンスをして楽しんでくれることはもちろん、観に来てくれた人たちが心から楽しんでくれる、そんなイベントになることを祈っています。
いや、祈ってもしょうがない。祈るのではなく、そうなるように、主宰として全力を尽くしたいと思っています。

この数年、自分のライブの日に天気が悪いことなんて記憶に無いほど晴れ男な俺だけど、今日の予報はあいにくの天気のようだ。
もしかしたらお客さんの足元が悪い中会場へ向かわせてしまうかも分からないけど、そのぶんしっかりライブで返したいと思っているので、楽しみにしていてくださいね!

あとの想いは今日、ステージで言葉にして直接伝えたい!

相変わらず酔っ払い気味の中書いているので、乱文になっているとは思いますが、この気持ちだけは今日のイベント前に伝えたく、このワンタイを潔くアップしたいと思います。

それでは皆さま、本日新宿OREBAKOでお逢い出来たら嬉しいです。
素敵な夜になりますように、ワンダフル!

2013年、ありがとう!

  • 2013.12.31 Tuesday
  • 23:10


2013年も、今年もあと少しで終わります!
色々と言葉を選んでブログを書いていたのだけど、ワンマンを迎える前夜の時と同じようにうまく言葉を綴れないな。
というより、正直なところ書いている時間も無い。

色々とあった一年だけど、どんなに悲しいことや悔しいことがあっても、その都度色々な人たちに支えられて、楽しい思い出がそれらを上書きしてくれた。
そして思い出も素敵だけれど、
最後に残ったモノは「人」でした。

そんな人たちとまた新たな一年を過ごせたら嬉しいな、って思います。
そんな人たちが自分のいるところに時々ふらりと寄ってきてくれたら嬉しいな、と思います。
思い出が時間を重ねて懐かしいモノへと形を変えても、自分が大事にしたいと思う人たちには懐かしさなんていらなくて、
その人たちとは懐かしい思い出を語り合える間柄でありたいな、って思います。

いい歳して青臭いね。
でも本当にそう思ってる。

ギタエロに出たバンドもみんな解散なり、メンバーの脱退なり、活動休止なんて形になってしまってね、ギタエロに出たバンドはみんな解散してしまう、なんていう一部の都市伝説をまんま体現した形で収まったように思われがちだけれども、それはきっと違うよ。

あれはギタエロのせいでもバンドがダメだったわけでも何でもなくて、その時そのバンドに勢いがあって、ピークを迎えていたからこそ一同に介することが出来たのであって、ピークを迎えたからこそ辿り着いてしまった終焉という形なんだよね。

今のメンバーのちかちゃん、卓弥、泰平くん、本当にありがとうね。
みんなB型で、一緒にいてもやっていることがバラバラで、みんなで飯を食うとかあまり無い間柄だけど、そんな表面的なモノはどうでもよくて、居心地の良い距離感と信頼で繋がっているのなら、他に何もいらないだろ、って思ってる。

それから今年一緒に音を鳴らしたボブ、ミック、ヒロくん、よっしー、
まっち、ナオキ、くっきーに改めて感謝の気持ちを。
本当にどうもありがとう。

そして今年五十三回のライブで知り合ったバンドマンのみんな、お客さんにも感謝の気持ちを。
本当にどうもありがとう。

五十三回という数字は精力的な数字ではないかもしれないけど、決して少ない数字でもない。それに回数の問題ではないんだよね、僕は回数を重ねることを目標としてライブをしているわけではないし、現に五十三回中のライブでたった一度か二度しか観ていないお客さんや、一度や二度しか対バンしていないバンドマンとこうして繋がることが出来たりしてね、だから大事なのは五十三という数字ではなくて、あくまでも「一」
「一」の積み重ねが例え来年半分の二十六に減ったとしても、その「一」の重さには何の変わりもないんだよね。
出逢いは常に「一」なんだから。


あぁ、あと一時間で年も明ける。
いつものように、今日から明日になるだけのことだけど、やっぱり雰囲気が違うよね、だって一年が一回りしたんだもんね。
来年はどんな一年になるのかってワクワク出来るのも、この大晦日の特典だよね。
新年、いい響きだね、便乗して生まれ変わろう。

俺はだらしがないし、計画性の欠片も無い男だから時間はかかるかもしれないけど、色々な人たちに与えてもらったこの感謝はずっと忘れないよ。

ただ、気持ちを伝えることは出来ても、どうやってこの感謝を返してゆけばいいのか、それはよく分からない。
だからね、来年までゆっくり考えさせてくださいね。
だから来年もどうぞ傍にいてください。会いにきてください。

本当に今年もありがとう。
本当に本当に感謝しています。

読み返さずに敢えて更新します。
乱文をお許しくださいませ。
だって時間が無いんだもの!

隣りでギターを弾いてくれているちかちゃんこと近沢博行くんが、僕との2013年について熱く、そして温かく綴ってくれているので、ちかちゃんのブログを添えておきます。

近沢博行のキョシューを放て!


皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいね!

ワンダフルサニーデイ

  • 2013.09.27 Friday
  • 19:50


何と一ヶ月半も間ワンタイを放置してしまったせいで、文章の書き方を忘れてしまった。それならば、と一番書きやすい音楽のことを書こうと思うのだけど、きちんと告知しておきたいライブがあるので、ここはきちんと書きたいと思います。

今年もだいたい月四回くらいのペースでライブをしてきて、この間の恵比寿でのライブが今年四十回目。
これは決して活動的と言える数字ではないと思うけれども、一本一本を大事に、真摯な気持ちでステージに立ってきたつもりです。

今年は去年の八月からずっと僕の隣でエレキギターを弾いてくれている近沢くんを除いてメンバーが目まぐるしく変わり、というよりも、色々な人たちが僕のバンドサポートに携わってくれて、ドラムのボブ、まっち、よっしー、ヒロくん、ナオキ、泰平くん。
ベースのミック、くっきー、卓弥には本当に感謝しています。

さてさて!そんなわたくし、鈴木ナオトですが、11月と12月に今年の集大成的なライブが二本あるのです。
皆さまにはこれから一人一人追って連絡させて頂きますが、最近はこのワンタイも放置状態が続いていたし、久々の更新と共に宣伝させて頂きます!

日時 : 2013年11月10日(日)
場所 : 渋谷O-WEST 〜大関東ギターエロス
時間 : 開場16:00 開演16:30
※ 鈴木ナオトバンドの出演時間は20:35

大関東ギターエロスというのは、東京、神奈川、埼玉、千葉から代表バンドが出て、年四回開催されている関東ギターエロスというイベントのデラックス版、とでも言えばいいのでしょうか。
この日は出演者のタクト等後輩の粋な計らいもあり、イベントのトリを務めさせてもらうことになりましたが、共に同じ東京代表として出演する江畑貴弘くんはイベントのトップを飾るし、四月のギタエロでステージを共有したイエスタデイや、ナオトバンドのサポートドラマーとして活躍してくれたナオキの所属するWorld 9 Bros.というバンドも出演するので、イベントの終わりを盛大に盛り上げて締めることが出来るよう、持ち時間を守ることだけに注意して頑張りたいと思います!

日時 : 12月13日(金)
場所 : 恵比寿club aim
〜お待たせしました!ドドーンとワンマンです!
時間 : 開場18:00 開演18:30
※ O.Aは横浜は鶴見が生んだ最強のヴィンテージロックデュオ、もりきこ

おそらく七年ぶりくらいのワンマンです。
正直、今の自分がワンマンなんてやって相応しいのかどうか、という気持ちもあるけれども、決まったからには最高のモノを届けようと、今から色々と準備しています。
過去三度のワンマンは演奏曲二十曲以上、すべて三時間超えのライブだったので(最長は三時間四十分!これは演るほうより観ている人たちのほうがすごい!)
今回のワンマンも長丁場なステージになること必至だけれども、やりたいことを詰め込み過ぎてゴチャゴチャになってしまうのは良くないので、二時間半くらいに収められるようにしっかり構成を整えて迎えたいと思っています。
もちろん休憩なんて無しです。
トイレ行く間もないくらい、充実した時間をお客さんと共有したいと思っていますよ!

メンバーは、ギターにお馴染み近沢博行、ベースに高橋卓弥(ウエノレイバンド)ドラムに木本泰平(POTATO HEAD)
紆余曲折あったけれども、今までのメンバーはもちろんのこと、今の彼らはとてもいいプレイヤーだし、常に今の布陣が最強だと思っています。

そこにこそ熱意を込めて一生懸命取り組まなければいけないのに、相変わらず宣伝や営業が病的なまでに苦手で、強く「観に来てください!お願いします!」と言えないことが、音楽以外の部分でも甘えを生み、それがいつまで経っても浮上しきれない自らの裁量の無さだと呆れること多々ですが、今回ばかりはこの場を借りてきちんと気持ちを伝えたいと思います。

観に来て良かった!
と思える熱いステージを約束します。
是非とも観に来て欲しいです!
よろしくお願いします!

今年は、と言うとまるで年末の挨拶みたいだけれども、今年ほど自分の周りでこれほどまで人が動いた年は無かったように思う。
楽しかったことはもちろん、悲しかったことも、いい話も、悪い話も。
当然ながらみんなみんな人が絡んでいる。

けれども同時に色々とそこから学べたこともあってね、何か良いことが訪れた時は周りのおかげ、良くないことが起きた時はすべて自分のせい、という風に、一度思考を立ち止まらせることが出来るようになった。
自分は本質的にいい子ちゃんなんかではないし、そんなに物分かりのいい大人になるつもりはないけれども、そうするとね、誰かのせいにすることなんかより、ずっと気分が楽になる。
誰かのせいにする、って一見楽そうでいて、実はそれが一番自分を振り回すことに成りかねなくて、そんな形で振り回されることなんて、自分も含めて誰のためにもならないでしょう、って。

結局何があっても、時間が大津波のようにそれらすべてを沖合まで持ってゆく。
そして望むと望まざるとに関わらず、運ばれた先でまた生きていく。
けれどもそれって、嫌なことや不安なことだって同時に置いていける、ということでもあるんだよね。

そして仮に自分がそんな沖合いまで行ってしまったとしても、そこにまだ僕を支えてくれる人たちや応援してくれる人たちがいるのなら、せめてライブでお返したい、と思うのは当然のこと。
というか、それしかないじゃない。
けれども音楽で返したい、なんていうのはいわば手段の一つに過ぎなくて、根底の部分は人として誰かのためになりたい、ただそれだけなんだよね。
そりゃね、人生も折り返し地点を過ぎれば、自分自分、ってそんなに思わなくもなる。

夕べ、ずっと何時間もスタジオにこもって作業した帰り道、月がどこまでも後ろをついてきて、見ればその月にオリオン座がそっと寄り添っていました。
大好きな秋がついにやってきたようです。

ウェルカムトゥオータム。
風がすこやか。
空がキレイ。
ワンダフルサニーデイ。

赤裸々

  • 2013.07.04 Thursday
  • 19:05


久々にワンタイを書いている。
書きたいことが無かったわけではなく、むしろたくさんあったくらいなのだけど、どうも頭の中でうまくまとまらなくて、何度もアプリを開いて書き始めたものの、ビールのせいか雑念のせいか、三行も書くとピタリと筆が止まってしまっていた。
でも僕は考えた。
待てよ、考えがまとまるなんてことのほうがむしろ稀ではないか。
誰だって皆、目の前のまとまらない物事や状況に翻弄されたり悩みながら、瞬間の思考や判断を求められながら生きているではないか、と考えると、さっきまでの自分が実にアホらしくなってくるし、実際に考えがまとまるまでいちいち待っていたら、この通りあっという間に七月になった。

カップラーメンを見てみろ。
彼はたった三分程度の時間で我々の空腹を満たして、空腹という問題を解決させてくれる。
それに比べて俺はなんだ。
思考にも話題にも賞味期限というモノがあることに気付いていながら、決してもったいぶっていたわけでも何でもないけれども、放っておいたらみんな腐ってしまった。
それが物の常、世の常なのに。
使わない腕時計は時を刻むのを止めてしまうのと同じだ。
そして心は待ちぼうけ。
結局まだ何もまとまっていない。

最近思う。
誰だって少々の見栄は張るし、つまらない小さな嘘もつく。
ただ、人を騙すことは騙された人から真実を盗むことと同じだよな、と。
盗まれたものがモノであれば、運が良ければ返ってくるからそれでいいけれど、心の場合はそうはいかない。
失った信用はそう簡単には返ってこない、と昔から言われているのはつまりそういうことだ。

だからこれは歌にしなきゃいけない。
誤解の多い生き方を歩んできてしまった人にもきっと責任はある。
だって類は友を呼ぶ、と言うじゃない。
だとしたら、そんな似たもの同士が集まる中で誰かが自分の傍を離れていったり、知らないところで自分の悪口を言ったりしていたとしても、あぁそうか、自分がいた場所はそういう場所で、自分はそこまでの人間だったんだなぁ、と考えたほうがずっとリベラルだ。
だから、そういうことを批判するのではなく、何かこう、勇気が湧いてくるような、そんなことどうでもいいじゃないか、と思えるような曲を書きたいな、と思っている。

そんな中、夕べYouTubeで平原綾香の「ひまわり」という曲のPVを観て、心が真っ青な空で晴れ渡ったような気分になった。
つまり、歌の力で感動した。
音楽としてのギターやベース、ドラムやストリングスの多彩なフレーズにももちろん心は激しく動くけど、結局自分の心の琴線は、歌詞や歌声といった息吹にこそ強く反応して感動するんだな、と改めて思ったのだ。

誰だって笑い声の聞こえるほうへ行きたいし、そういう空間は大好きだけど、行くのと流されるのでは意味が異なる。
笑わせてるのか笑われているのか、それは似ているようでまったく似て非なるもののように、それが得意なら得意な人に任せればいいし、得意でなければ無理する必要も無い。
自分が得意とするほうへと素直に向かえばいいのだ。
その時に僕が僕自身思うような力で歌うことが出来たら、きっとそれが答えなんだろう。

今日は蒸し暑い。
どうやら西から嵐がやってくるという。
でもそんなことより、君の声が聴きたい。

さぁ、夏はすぐそこまで来ているよ。

サクラサク

  • 2013.03.21 Thursday
  • 17:05


ふと、ぼくの傍を過ぎていった人たちのことを思い出す。
少し遠い日々、でも香る日々。
どんな季節にも、キリキリと胸が痛くなるような思い出がある。
それは美しければ美しいほど、濃い残像となってふと心に浮かび上がる。
けれども、まるで始めから最後までそうだったかのように、
最後に残るものは楽しかったことや美しいことばかり。
考えてみれば、あぁ、あの時は悲しかったな、
なんて回想にふけることなんてまず無くて、
あぁ、あの時は楽しかったな、とその光景や誰かを思うからこそ、
ぼくらは前を見て歩いてゆける。
こうして地を蹴って歩き、目一杯胸を張れないまでも、
身をかがめることなどなく色とりどりな日々の中を生きている。

例年より、ずっと早く桜が咲いた。
そのせいで、あちこちの自治会では
さくら祭りを前倒しにするべくあくせくしているという。
そう思うと、我々人間は自然にかなわないのではなく、
自然に振り回されながら生きているのだな。
だってこんなにも桜に魅せられて、
こんなにも歓喜の声をあげているのだもの。

ソメイヨシノは今七分咲きくらい。
けれども寒緋桜は見事まで色鮮やかに咲いていて、
昨日の強風でその花びらを宙に舞い上がらせて、地表を紅く染めていた。
まるでソメイヨシノに、お次はどうぞ、と席を譲り渡すように。
そこにその短命さを持って人々を惹きつける桜の潔さを見る。

陽気な人々、麗らかな風、春の花の匂い。
暖かく、やわらかな、そんな一日の片隅で、
今日もぼくは君のことを考える。

これから知人のライブを観に、お台場はZepp Divercityへ。
目の前に海が見えてきた。
東京湾といえど、やっぱり海はテンションあがるね。
胸の中で、こっそりとだけどね、ワンダフル!

ニコニコ動画

2013.3.15にbayfmで放送された番組収録模様です。↓

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