ワンマンライブに向けてのご挨拶です!

  • 2020.02.04 Tuesday
  • 21:00


長らくお待たせしました!と言えばいいのか、そもそも待ってくれた人なんているのか、自信は無いし、不安だし、というのが今の正直な気持ちなのだけど、わたくし鈴木ナオト、6年ぶりのワンマンライブを今年の10月30日金曜日に秋葉原CLUB GOODMANにて開催させて頂くこととなりました。

現在の自分の音楽活動は胸を張れるようなものではありません。自分の周りには素晴らしいアーティストやミュージシャンがたくさんいて、精力的に活動し、表現し、オーディエンスを沸かせ、何よりその音楽で、歌で、オーディエンスの心をギューっと掴んでは感動を与え、そんな時、俺はいつも歓声に湧くオーディエンス側のほうにいて、すごいなぁ、すごいなぁ、とそんなことを思っては、カウンターで追加のビールを頼み、そこにいた顔馴染みの人たちと談笑しては、ステージを終えた仲間の好演や熱演に賛辞を送り、気分良く酔っ払っては帰宅していました。
そう、俺にとってのライブハウスは、自分が演じる場所であること以上に、誰かを応援したいがために足を運ぶ、そんな場所になりつつありました。

情熱が枯れたのか。いや、そんなことは無い。いや、どうなんだろう、若いバンドマンや若いアーティストの子たちと触れ合って、目の前で激しく燃え上がるようなMCや熱いステージを目の当たりにすると、これが純粋培養な情熱なのであって、そんなアーティストたちと今の俺を比べたら、今の俺は決して情熱的とは言い難い。

すると俺は何なんだろう、そう考えてみると、激しく燃え上がるような情熱が自分の心を燃やし続けているのではなく、自分の中に積み重ねてきた火種みたいなモノがそこかしこに点在しては、そのところどころで燃えては消えて、燃えては消えて、なかなか一つの炎としてまとまらない、でもいつも必ずどこかの場所では頼りなく燃えている、そのような感覚の中で現在まで歌い続けてきたのではないかと、そんな気がしてきたのです。

でもね、時々聞こえてくるんです。
もう6年も前の話になるんだなぁ、、、小さな子どもたちを残したまま若くして癌で亡くなってしまった仲の良かった友人がね、ねぇナオトさん、私無念だよ、まだまだ生きたかったのに、子どもたちの成長も見届けたかったのに、ホントに無念で仕方がないよ、ナオトさん、せっかく元気に生きてるのに、最近のナオトさんは見ていてじれったくて仕方がないよ、もっと思い切りやってよ!ホントつまんない!って声が聞こえてくるんですよ。しっかりやれ!ばかやろう!って。

若い時のように言いたいことが溢れているわけではない。届けたい思いが溢れ返っているわけでもない。むしろそんな独りよがりなことよりも、今まで自分を支えてくれた人たちや、今も支えてくれる人たち、そんな人たちへの感謝の気持ちが日々大きくなってきて、こうして今もステージで歌えることが、例え少数でも聴いてくれる人たちがいることが嬉しくて仕方がない。
自分が届けたいことなんかよりも、自分が届けたいと思える人たちが今も傍にいることが嬉しくて仕方ないんです。
俺は曲を生産的に作れるタイプではないから、もっと努力して曲を作らなきゃいけないのだけど、何十回も何百回も歌っている曲が、最近はまるで新曲でも歌っているかのような感覚で詩の世界に入り込んでは、今までお世話になった人たちや応援してくれたオーディエンスたちや仲間たちの顔が目の前にバァーっと広がっては浮かんでくるんです。
俺たぶん、いや確実に、今が一番歌うたいとしていい状態だと思ってるんです。 情熱をむやみに人に浴びせるわけでもなく、爆音で音を鳴らすわけでもなく、存在も、やっている音楽も地味かも分からないけど、それが地味ではなく「滋味」なモノに変わってきている実感があるんです。

昔から尊敬してやまない神のような歌うたい、玉置浩二さんがこう言っていました。
「歌は50歳からだ」って。
しかもそれを若い時からずっと決めてた、って言うんですよ。まだ二十代の安全地帯時代から、超絶的に他を圧倒する声と歌唱力を持っていたにも関わらず、歌は50歳から、ってその頃から決めてた、って言うんです。
だからなんだって?うん、だから俺も歌は50歳からだ!なんてそんな鵜呑みで間抜けなことは言わないし、そんな高尚なことも思ってはいないです。
でも俺、昭和46年生まれだから来年の10月でその50歳になるんですよ、50歳ですよ、50歳!いくら壊滅的に数学が苦手な俺でも、来年自分が50歳になることなんてそんなこと分かっちゃいるけど、分かっちゃいるけど、こうして文字にするとちょっと窒息しそうというか、今思わずこれを書きながら深く息を吸ってゆっくりと息を吐き出して遠くを見つめてしまった。

ほんの十年前にくらいは、年を取ることと感じなくなること、この二つは自分の心の中で最大の脅威であり恐怖だったんです。
でも正直、今は自分が来年50歳になることは不思議と怖くないんです。だってみんな同じように年は取るし、これをここまで読んでくれているお前らも(ここは敢えて偉そうにうそぶいてみる)必ず年を重ねてここへ来るんだもの。
そうなると二大勢力であった「年を取る」という強敵をやっつけた今、「何も感じなくなる」という敵はまだそこにいて、色々な物事に分別も付きすぎて、様々な物事に慣れ過ぎてしまい、いよいよ何も感じなくなって何も生まれなくなってしまうことだけが恐怖なんです。
いつまで歌えるかなんてわからない、でも本当の意味で歌えなくなるというのは、声が出なくなるとか、身体を壊すとか、環境的にそれが出来なくなるとかそんなことではなくて、自分から何も生まれなくなってしまったら、それはもう、歌うたいとしての「死」なんです。そして届けたいと思える人が誰もいなくなってしまうことも同様に「死」なんです。
そしたら俺は歌う意味なんてどこにも見つけられない。だからもしそんな日が来てしまった時は、俺は潔く歌を辞める。

だけれど幸い俺にはまだそれが無い。
生産的に曲を生み落とせない俺でも、何かが生まれないなんてことはまだこれっぽっちも無いんです。ライブするたびに、これが最後かもしれない、って、最近はライブのたびによく思う。でもそれは一本のステージたりとも手を抜けない、ってことでもあるんです。それでも時々ステージでヘタは打つし、未だによくヘコむし、いつまで経っても上手くならない。でも俺はこの、いつまで経っても上手くならない、というのがある種の才能でもあって、今まで歌を続けてこれた最大の理由かもしれないんですよね。

なんだかとても長くなってきてしまった。話とMCとライブが長い。これも昔からの俺の欠点だ。 こんな駄文をここまで読んでくれた人たちに感謝したい、どうもありがとう。

でも俺、今すごくワクワクしてるんです。サポートのナオトバンドのみんなも今回のワンマンが決まって「やりましょう!!」って喜んでくれたこともそうだけれど、これだけここまで書いておいて一体何だったんだ、となるかも分からないけど、やっぱり届けたいことはたくさんあるんです。だからこそ、届けたいと思える人たちがいることが本当に嬉しいんです。

今回、縁とタイミングもあって、秋葉原CLUB GOODMANのブッカーでもあり、十数年来の親友でもあるワッシーこと鷲山さんの愛ある後押しの一声もあって、ホントに柄でも無いのだけど誕生日ワンマンという形で開催させて頂くこととなりました。今年の秋の話なのでまだまだ先のことだけれど、だからこそそれまでの間にしっかり準備して、歌うたいとしての自分をもっともっと磨いて、今以上でもなく以下でもない、ありのままの鈴木ナオトで、四十代最後のありったけの思いを胸にワンマンライブを演らせてもらおうと思っています。

そしてもう一つ。この鉛のように重い俺の腰を上げてくれたのは、周りにいる素晴らしきミュージシャンたちや仲間の頑張る姿やその気概に何度も胸を震わされたことが大きな力になっていることを伝えたい。ところどころに散らばって点在していた火種を大きな炎として一つにまとめてくれたことに感謝したい。
自覚が無い人もいると思う、でも俺がそう思っているんだからそれは本当なんだ。あ、それ俺のことかな、私のことかな、と少しでも思い当たる人は、そうです、あなたのことです、本当なんだよ、ありがとう。

本当に本当に長くなりました。 最後まで読んでくれてありがとう。 本当に本当にありがとう。 何故俺は歌っているのか、その思いを綴る本題に今から入ろうと思ったけれど、持ち時間をすでにオーバーして時間が押しているようでまた叱られるので、今回は秋のワンマンライブへの抱負と発表の挨拶ということで終わりにしたいと思います。 ワンマンのタイトル、ワンマンの構成、レコ発も同時に行うか、オープニングアクトミュージシャンへの依頼等、これから少しずつ固めていこうと思っています。

観に来てください!って言いたいけれど、まずは何よりも、観に行きたい!と思ってもらえるような歌うたいになるべく、今日からまた精進します。
また今週の半ばから寒くなるようなので、皆さま、体調には充分気をつけてご自愛下さいね。

皆さま、どうぞ宜しくお願いします。

2020年2月4日
鈴木ナオトより愛を込めて。

「まりも」

  • 2019.10.19 Saturday
  • 21:00
良太と奈緒が、まだ二歳になって間もないくるみを車に乗せて、良太の学生時代から仲良くしている後輩カップルの結婚パーティーへと招待されたのは、年の瀬も近付いた十二月の師走中頃のことであった。
その日、同じようにその結婚パーティーへ招待されていた友人のみどりと愛娘である三歳のカスミが、パーティーが始まって間もない頃、テーブルの上に置いてあったフォークを握りしめたまま足のつかぬ椅子から降りようとした際に誤って前のめりに転んでしまい、手にしていたフォークの先が鼻の穴に突き刺さるという事故が起きた。それは本当に一瞬の出来事で、フォークの先の四本のうちの三本が鼻の穴から外へと向けて貫通してしまうという事故だった。
自分の身に何か大変なことが起きたことを察したカスミは、その小さな体を震わせながら泣き、みどりは、大変!と言って血相を変え急いでカスミを抱きかかえると、小走りでパーティー会場の外へ出ていった。
良太と奈緒も目の前で起きた突然の出来事に正直心が慌ててしまったのだが、あまり大げさにならないように静かに二人を追うと、会場入口を出てすぐの廊下で、どうしよう、どうしよう、とカスミの頭を撫でながら必死に介抱しているみどりがいた。奈緒はそんなみどりの背中を優しくさすってやり、良太は泣き叫び続けるカスミに、大丈夫か、傷見せてごらん、と言ってカスミの顔を覗き込んだ。

「大丈夫かな、大丈夫かな、酷いことになってないかな、痕残っちゃうかな、大丈夫かな」

みどりは激しく動揺した様子でしゃがみこんでしまって、良太がその場から少し離れて119番しようと携帯電話を取り出した時、すぐに駆けつけてきたホテルの支配人に自分が今怪我をした女の子の母親の友人であることを述べたあとで状況を簡潔に説明し、我々はその場で救急車の到着を待った。
しばらくしてすぐに救急車が到着し、二人の救急隊員に促されたみどりがカスミを抱きかかえて救急車に乗り込むと、パーティー会場に残されたままの荷物を取りに戻っていた奈緒が戻ってきて、見送る良太と奈緒に向かって、こんな時にごめんね、ごめんね、と手を合わせながらみどりは言った。
ホテルのロータリーエントランスにバウンスしてより大きさを増した救急車のサイレンが鳴って救急車がホテルを出発すると、良太と奈緒はみどりとカスミを乗せた救急車をずっと目で追い続けた。そして救急車が遠くの交差点を曲がってその姿が見えなくなると、良太と奈緒は同時にふぅ、と一息大きな息を吐いて、顔を見合わせて少し笑った後で、大丈夫かな、とお互いに言いながらパーティー会場へと戻った。会場では同じ円卓に同席していた何人かの人たちに、何かあったんですか?と尋ねられたこと以外、つい先ほど起きたカスミのフォーク騒動に気付いた人はいないようで、そこにはただ、平和で、祝福に満ちた雰囲気が温かく漂っているだけだった。良太と奈緒はその祝福ムードに水を差すようなマネなどしたくなかったので、そのような事故が起きたことは後輩カップルには伏せたまま談笑し、パーティーの間中、シングルマザーですべての日常と愛情をカスミに注いでいるみどりの気持ちとカスミの容態に気を揉みながら、どこか不謹慎な気持ちに包まれながらも、良太は余興として頼まれていた歌を少し大げさにはしゃぎながら歌った。
余興が終わると、まるでその時を遠くから見計らっていたかのように先ほどの支配人が良太のところへとやってきて、怪我をしたご友人のお子様ですが、順天堂病院へ運ばれました、と教えてくれて、病院の電話番号が書かれてあるメモを良太に渡してくれた。
カスミが救急車で運ばれてからパーティー終了までにすでに二時間は経っていた。でもパーティー会場から順天堂病院までは大した距離ではなかったので、支配人からその旨を伝え聞いた時から順天堂病院までみどりとカスミを迎えに行ってやるつもりでいた良太だったが、無事ならばとっくに病院を出ているかもしれない、とも考えた。けれども病院へ行って、二人がいないならいないでそれでいい、と考えた良太は、パーティーが終わって後輩カップルに挨拶を交わした後で、救急車に乗り込んだ際に見せたみどりの不安そうな表情を思い浮かべながら、奈緒とくるみを車に乗せてそのまま一路順天堂病院へと向かったのだった。

病院へ到着して急患の窓口の前に立った良太が窓口の向こうに座る年増の女に事情を話すと、ついたった先ほど手当てを終えたばかりで、幸いにも女の子は大事には至らなかった、という話を聞き、あぁよかった、と胸を撫で下ろした良太と奈緒は、病院の正面入り口でみどりとカスミを迎え入れると、みどりはひどく感謝した様子で、ありがとう、ありがとう、と繰り返して口にした。
気にしない気にしない、と良太は言って、いつまでも恐縮して遠慮しているみどりを無理やり後部座席へと誘うと、よく頑張ったね、と言いながら奈緒はしゃがんでカスミの真っ赤な頬っぺたを覆ってやり、よーし、出発!と良太は言って西へと車を走らせたのだった。
クリスマスがすぐそこまで近づいている街のあちこちでは、派手なディスプレイで彩られた店やツリーの数々がまるで競い合うかのように多く立ち並んでいた。しかし運転する良太からルームミラー越しに映るカスミはそんな窓の向こうの景色にはまるで興味がないようで、絆創膏で固められた小さな鼻をその小さな手で押さえながら、その小さな両足をちょこんとこちらに向けて大きなあくびをしている。

「鼻に三つも穴空けて、鼻の通りがよくなっただろうカスミぃ〜!」
「ちょっとぉ!何でもかんでもネタにして笑いにしたがるんだからぁ!」

良太の冷やかしの言葉にそうふて腐れて抗議するみどりの言葉には、娘が無事であったことを安堵に思う母親の愛情が微笑ましいほどに溢れていて、その響きは良太をひどく楽しい気持ちにさせた。そんなみどりとカスミ、奈緒とくるみを乗せた賑やかな車がのんびりと目白通りを走っていると、

「あっ、この次の交差点を左にお願い。えーっと、早稲田通りね」
みどりは運転席と助手席の間に身を乗り出すようにして良太に言った。

早稲田通り…

この通りには、かつて良太が交際していた香織と四年と三ヶ月同棲していたマンションが建っている。
展望がいいことと、ベランダというよりもテラスと呼んだほうが相応しい広いスペースのベランダがあったことから、それが決め手となってその場で借りることを即決したその部屋からは、早稲田通りを広く見下ろすことの出来る環境にあり、加えて部屋が最上階であったことから屋上へも上ることが出来たため、噂のテラスもどき見たさに友人たちがよく訪れては、季節を問わずBBQパーティーをよくしたものだった。
普段の日、良太が毎朝アルバイトへ出掛ける際には、香織は決まってベランダに出てきては、早稲田通りを駅へと向かって歩く良太に向かって、ベランダの広さを余すことなく使うかのように大きく手を振っていた。

あれからもう五年も経ったのだ。
いや、まだたったの五年しか経っていないのだ。

良太には、良太がカナダに留学していた二十歳の頃から飼っていた「まりも」という名前の雑種の雄猫がいた。白と黒のブチ猫で、まだ「まりも」が生後三ヶ月の時にカナダでの日本人の友人から、ウチの猫がめんこい仔猫を五匹生んで、今里親を探しているんだけど、お前猫好きだったよな、見に来ないか、と言われて、あくる日の晴れた日曜日の午後に軽い気持ちでその友人の家へ遊びに行った良太だったが、他の仔猫たちには目もくれず、一目見て「まりも」を気に入ってしまった良太は、その日着ていたデニムのオーバーオールの胸元に収めて、友人の家を後にした。普段はなかなか時刻表通りにやって来ないバスに苛立っていた良太も、その日だけは胸の中でミャアミャアと鳴いている「まりも」に魅入られて、やって来たバスを二本乗り過ごすほど、もうすでに「まりも」に夢中になっていた。

「小さいなぁ、、、なんてやわらかくて丸くてかわいいんだ」
良太はそう「まりも」に話し掛けて、その時に良太の頭の中に浮かんできたのが、あの、フワフワとしたまんまるいまりもだった。今思えば何て身勝手で無責任な飼主だったんだ、と良太は反省しているが、動物として、そして留守ばかりさせてしまう「まりも」には、せめて食べることだけは不自由させたくないという思いから、「まりも」が少しでも餌を欲しがるような素振りを見せようものなら一日に何度も猫缶を与えていたせいで、一時は十三キロまで体重が増えてしまい、転がったほうが速く歩けるのではないか、と思うほど、本当にまりものような丸い体型になり、お腹の肉を床にこすりつけながらノッシノッシと歩くふてぶてしい猫になってしまった。

「なーんか俺が未来に想像していた姿とはまるで違うぞおまえ!」
良太はよく「まりも」にそう言って、肉の付きすぎた「まりも」のお腹を両手で掴んで揺らしては「まりも」に怒られたものだ。
良太が留学期間を終えてカナダから日本へと帰国する際、動物は機内に持ち込めない、と友人たちから聞かされていて「まりも」をどうやって日本へ連れて帰ろう、と思案と不安の日々だったが、いざ航空会社へと出向いて相談してみると、呆気に取られるほど呆気なくチケットの手配をしてくれて、良太は航空会社のカウンターの女の子が「OHHH!!!」と胸を押さえて驚くほどの歓喜の声を出した。
その時の良太の声を文字に起こして表すとしたら、きっとこんな感じだろう。
「∽♂%≧$△?℃ーーーー!!」
まぁ簡単に言ってしまえば、言語として存在するかしないかくらいの、?ぉ''ぉ''ぉぉぉおーー!みたいな歓喜の声である。
そりゃ文字化けもする。

しかしあろうことか、いくら「まりも」が猫界の中ではヘビー級、人間の相撲界で分かりやすく例えれば、平成の名大関、小錦関のようなちょっと太り過ぎな体躯だからといって、人間のそれと比べたらサイズも重量もはるかに小さいはずなのに、しっかり大人の人間一人ぶんの飛行運賃を支払わされてひどく驚いたものだが、やっぱり「まりも」を機内に持ち込めて共に帰国出来る喜びと安堵の気持ちに胸を撫で下ろした良太は、カウンターの女の子だけに留まらず、そこにいた航空会社の人たちにサンキュー!サンキュー!と感謝の言葉を述べて、勝利者の勇者のような気持ちで航空会社を後にしたのだった。

バンクーバー国際空港を離陸する前からベルトサインが消えるまでの間、良太はペットキャリーバックの隙間から「まりも」のやわからな手を握りながら声をかけ続けた。
「まりも、俺の故郷へ連れて帰るぞ、しばらくの我慢だ、がんばれ」
手を前に揃え、上目遣いで良太を見て、始めは堪忍したような様子を見せていた「まりも」だったが、しばらくするとすぐにキャリーバッグの中でソワソワと落ち着かなくなり、どこから声を出したらそんな声が出るのか、と思うくらいの低い声で鳴き始めた。
「まりもー、ごめんな、大丈夫だから」
それも当たり前だろう、「まりも」のいるネコの世界からしてみれば、猫が空を飛ぶなんてことは想定外のことだろうし、良太にしてみても、キャリーバックに入ったままこれから十時間以上もの時間を過ごさなければならない「まりも」のことを考えると不安な気持ちは隠せなかった。
耳がツンとする。「まりも」は耳を下に向けて固まったまま、時折良太をじーっと見つめたり、狭いキャリーバックの中で頭上を見上げながら立ち上がろうとしている。握っている「まりも」の肉球が汗をかいて湿ってきた。猫も人間と同じように気圧の変化の影響を受けて耳がツンとしたりするものなのだろうか、と良太は考えた。「まりも」の汗ばんだ手を握りながら、良太は窓の下の景色に目を向ける。宝石箱をひっくり返したような夜景という形容は確かにその通りだ。だからといっていつまでも窓の外を眺め続けることなんて出来るわけもない。猫は座席に備え付けられてあるイヤホンで音楽も聴かなければ機内映画も観ないし、ましてや読書なんてするわけもない。人間だって退屈極まりないこの世界で、これから十時間以上も「まりも」は過ごさなければならないのだ。考えてみたらトイレはどうするのだ!ペートシーツはある、だが匂い対策はしていない!良太は再び驚愕して「まりも」を見やると、「まりも」は良太を冷たく一瞥して、再び低い声でウワォォン、と鳴いた。

その「まりも」の鳴き声がまるで合図のように機内のベルトサインが消えると、静かだった機内がベルトを外す金具音や座席の擦れる音で包むように支配し、人々は立ち上がって息を吹き返す。トイレに行く人、頭上の棚からスーツケースを取り出す人、スチュワーデス(当時はまだ客室乗務員との呼称は付いていなかった)が飲み物カートに飲み物をセットする音、とにかく飛行機の中で聴く音は、どれもこれも日常の中で聴いている音とは異なるように良太は感じた。たぶん、飛行機のジェットエンジンの音がベースとして流れているからなのかな、なとど他愛もないことに思考を巡らせながら良太が「まりも」に再び目を移すと、「まりも」がまるで犬のように舌を出してはぁはぁ、と息をしている。
「あぁ、まりもー、もう大丈夫だ、安心しろ、これからお前は自由時間だ」
良太はそう言うとキャリーバックのチャックを全開にすると、「まりも」の目の前には新しい世界が広がった。「まりも」がキャリーバッグの中から勢いよく逃げ出して機内を走り回り、乗客の悲鳴が飛び交ってパニック状態になり、飛行機がバンクーバー国際空港へ舞い戻って緊急着陸、そして僕は空港で待ち構えていた警察に逮捕される、というドリフターズのコントのような光景を良太は想像してみたが、実際の「まりも」はそんなことはなく、辺りを警戒しながら機内の天井を見渡したり、シートの匂いを嗅ぎ始めたりして、やがてやれやれ、といった面持ちでキャリーケースから脱すると、本当に疲れた、といったような様子で良太の隣座席のシートの上で両手を広げてため息をついた。そしてそんな「まりも」の傍らを通り過ぎる他の乗客たちやスチュワーデスに「まりも」は睨みを利かせて、人々は驚き顔で通り過ぎたものだ。

まりも、お前は高い運賃を払って今ここに座っている。そうだ、それでいい、自由にやれ。良太は愉快な気持ちで「まりも」の体を撫でながら、まりものおかげでカナダを離れることへの感傷的な思いが随分と紛らされていることに気付き、手に絡んだ「まりも」の毛とカナダでの思い出をポケットに入れて目を閉じた。

帰国後、良太が腰掛けのつもりでアルバイトをしていたアパレルメーカーに二週間に一度営業でお店にやってくる三歳年上の香織と出逢ったのは、帰国してから何もかもが自分の思うようにいかず職を転々としていた、良太が二十四歳の時だった。香織はもはや良太の一目惚れという形で、良太の狭い心の中に火種が灯った。その火種は日毎温度と炎力を増してゆき、二週間に一度やってくる香織と白々しくクールな距離感を保って会話を交わしていたものの、その衝撃的な一目惚れの日からちょうど二ヶ月が経った後、もうどうにも気持ちを抑えきれなくなった良太は、いつものように営業でやってきた香織が店を後にする際、客が置き棄てたレシートを棄却箱から取り出した良太は、“僕の恋人になってください”という言葉と電話番号を綴って四つに折ると、あの、香織さん!と呼び止めて香織の羽織っていた赤いコートのポケットに無理やり突っ込んだ。
「あの、あ、後で読んでください」
良太はそう言って、
「え!なに?あ、はい、ありがとう、お疲れさまでした」
と香織は言って、いつも通りその長くてやわらかそうな髪とその香りを良太の元に残しながら帰っていった。
良太はその後店に戻ると、ついに言ってしまった!と胸と胃の辺りがひどく熱く火照って接客どころの騒ぎではなくなったが、その日一日どころか、香織から一切の返事が来ない二週間を、良太は羞恥と期待と、そして後悔に心を支配されることとなった。

「わたし、良太くんの変人は嫌だな」
高田馬場のイタリアントマトで香織は良太に言った。
あの告白の日から二週間後の金曜日、いつもと変わらぬ様子で良太の働くお店へとやってきた香織は、良太には一目もくれず、お店の店長と新しい商品のTシャツやら何やらを真剣に話し込んでいた。良太は正体不明の嫉妬と絶望に包まれながら、店の片隅にある服棚の整理をしていた。すると後ろからお疲れさま、という声が聞こえて、良太は驚いて振り向いてみると、そこに香織が立っていた。
「はいコレ」と香織が言って良太に何かを手渡した。それは四つに折られたレシートで、じゃあ、と香織はひとつ軽い会釈をして帰っていった。バカなことをしたな、と良太は思い、いよいよ本当にひどい絶望と後悔の気持ちに包まれた。そして良太は手にしている香織から返された四つ折りのレシートに目を落とすと、あの日自分が香織に渡したレシートとは違うものだということに気付いた。

“今夜は空いてますか? 香織 090-2634-○○○○”

思ってもみなかった香織からの返信に一瞬にして舞い上がってしまった良太は、それから退勤までの四時間が、まるで渋滞した東名高速にハマって目的地へなかなか到着出来ない時のような長い長い時間に感じながら、狭い店内の天井が、どこまでも続く晴れ渡った青い空のように思えた。

「僕の変人?」
良太は何のことか分からない、といった顔で香織に聞き返した。
香織は一週間前に良太が手渡したレシートを財布の中から大切そうに取り出してテーブルの上に置くと、恋人、と書かれた部分を指でトントンと指しながら笑った。上品な薄いピンク色に塗られたマニキュアが香織の口調とリンクして、香織のことをとても艶っぽく感じた瞬間でもあった。
「ねぇ、コレいくらなんでもひどすきじゃない?あの日良太くんからこのレシートもらって、わたし胸のドキドキが本当に収まらなくって、何が書いてあるんだろう、何が書いてあるんだろう!って、わざわざトイレの個室に入って読んだのよ、それなのにさぁ」
香織はそう言って、わざとらしく不貞腐れた顔をしながらレシートを良太の前に差し出してきたので、良太は自分で書いた、というよりも、書き殴ったそのレシートをじーっと見つめた。

”僕の変人になってください”

「うわぁ!」
良太は思わず驚愕の声を出して、座っていた椅子のきしむ音が聞こえるほどのけぞった。
「ねぇ、なにこのマンガみたいなやり方。狙ったの?」
「いやぁー…そ、そうです、狙ったんです、いや、違う!え、なんで、なにこれ、俺バカじゃん!」
良太はそう言ってテーブルに突っ伏すと、香織はそんな良太を見て声を出して笑った。
「でもすごく嬉しかった」
「すいません、なんか色々と…しかもレシートだなんて」
「ううん、これはレシートなんかじゃないよ、こんなにドキドキした手紙を貰うなんて、今までのわたしの人生で無かったことだもん。これは良太くんからわたしへの恋文だと思っていいの?」
「えっと…あの、香織さんがそう言ってくれて、俺のほうこそ夢みたいです」
「ありがとう良太くん」
「あ、いや、うん、俺のほうこそありがとう」
「すっごくハッピーな日!」
香織は背伸びをするように手を伸ばしながら言って、俺もです!と良太は言って、空っぽになっているグラスのストローをズズズ、とすすった。

それから良太と香織は一人暮らしのお互いのアパートを行き来しながら二年ほど付き合っていたが、もとから香織が猫好きだったことも手伝って、「まりも」への愛情はとても深く、例の早稲田通りのマンションで「まりも」と“三人”で暮らすようになった。「まりも」はまるで良太と香織の子どものように深く愛された。そしていつか生まれ故郷のカナダへもう一度こいつを連れていってやりたい、などと良太は香織によく話していたが、四年と三ヶ月共に暮らしたある日、どこにでもいる平凡な男女の、どこにでもある平凡な理由から良太と香織は別れることになってしまい、他の様々な事情もあって「まりも」は香織が引き取ることになり、良太は香織とも、そして「まりも」とも別れることになってしまった。そんな「まりも」が猫白血病ウイルスに侵されて、余命幾ばくも無いことを香織から聞かされたのは、良太がそのマンションを出ていってから一年と少しが経ってからのことだった。しかし良太にはその時、付き合い始めたばかりの奈緒がいた。
連絡を受けて翌日駆けつけたマンションには、まだ自分が病気であることには気付いていない「まりも」と、泣き腫らした目でベッドに腰掛けている香織がいて、久し振りに会った香織に何と言っていいか分からなかった良太は、「まりも」をそっと抱き上げると、その濡れた鼻の先に自分の鼻をくっつけた。とても愛おしく、懐かしい匂いがした。
「まりも」はすぐに喉をゴロゴロと鳴らして、時折良太の手を甘噛みしながら、小さな声で一度鳴くとそのまま目をつむってしまった。そんな「まりも」をベッドの上に降ろしてしまうと、良太はそれきり口をつぐんでしまい、そんな良太に向かって香織は、
「元気?」
と小さく微笑みながら聞いた。
うん、と良太は答えた。

ベッドの上で丸まり、顔は向こうを向いているくせに耳をピンとこちらに向けて聞き耳をたてている「まりも」の後ろ姿は、一年前よりも確実に痩せてしまっていたが、あのふてぶしい表情は変わらず健在で、体勢を変えて良太のほうを向くと、さぁ、今までどこへ行っていたのか説明してもらおうか、とでも言わんばかりに睨みを利かせてきたものの、再びひとつため息をつくと、そのやわらかい毛に覆われた手の上に顔を乗せて目をつむってしまった。部屋はしん、と静まり返り、それがよりいっそう良太の心から哀しみを増加させていた。
せめて「まりも」が生きている間だけでもまた三人で暮らしたい。それが叶わないのなら、ほんの少しでも多く、「まりも」の傍にいてあげて欲しい。良太に今、奈緒という恋人がいることを知らぬ香織は良太のほうを見ずにそう言った。香織は泣いていた。でも奈緒がいる良太には、今さら香織と「まりも」との三人の生活に戻ることなど、いくら戻りたくてもそれを叶えることは出来なかった。
ただ、それから良太は、「まりも」のために少しでも力になってやりたくて、奈緒にはそのことは内緒にしながら週に一度から二度は合鍵を使って香織のマンションへ通い、病院へ行くことを嫌がる「まりも」を車に乗せて連れていっては、輸液やインターフェロンの投与を受けてもらっていた。やる事も、獣医の言うことも、いつも同じだった。ただいつもと違うことは、レントゲンに映る「まりも」の肺を覆う影はいつまでも消えることはなく、むしろここへ来るたびに肥大しているように感じることだった。

「まりも」は猫のくせに良太に対してはとても従順で、良太を絶対的なボスだと思っていたみたいだが、なぜ良太がもうこのマンションに帰ってこなくなったのかは理解出来ていないようだった。 良太は香織のいない部屋で「まりも」とよく話をした。頭を撫でながら、お腹をさすりながら、まりもの骨ばってきたその体をさすりながら、ごめんまりも、俺は最低だ、俺はろくでなしだ、と口をつく言葉までろくでもないことになっていった。
そんな時「まりも」は、何だよ、オレは大丈夫だ、それよりもそろそろウチへ帰ってこいよ、何泣いてんだよ、とでも言っているかのように、喉と鼻を鳴らして目を閉じながら、良太の膝に頭をこすりつけてくるのだった。
そう、この頃の良太は、いつも「まりも」と二人きりになって話をするたびに、「まりも」の体に顔をうずめて子どものように泣いていた。

だがそんな生活を半年も続けたその年の夏、良太はすべてを放棄した。そこには説明出来ない葛藤や痛みが孕んではいたが、結果として良太は二度も香織を、そして「まりも」を捨てたのだ。

その後、香織の熱心な、愛情に満ちた献身的な介抱のおかげで、余命幾ばくも無いと言われた「まりも」は、ベテラン獣医の先生も驚くほどの生命力で生きながらえた。 良太は香織との共通の友人たちから伝え聞く言葉で、「まりも」が今も元気だということを聞くたびに安心しては嬉しくなったが、そのあとは決まって胸がしめつけられるほどの痛みに襲われては苦しくなった。
「まりも」は二年と少しもの闘病の末に、あの部屋で香織に看取られて死んだ。亡くなる寸前、それまで部屋の床に敷いた毛布に横になったままゼェゼェ、と苦しそうな息を立てていただけの「まりも」は、最後の力を振り絞るようにして立ち上がると、玄関までの数メートルほどの距離を少しずつ、少しずつ、よたよたと時間をかけて歩いていった後で玄関のカーペットの上で横になると、それからはもう動けなくなって乱れていた呼吸も次第に静かになってゆき、最後に一言だけ小さな声をあげて、香織に頭を撫でられながら眠るように息を引き取った。

「まりも」が亡くなった日、良太がすべてを放棄した日から一切の連絡を絶っていた香織から、何本もの電話が良太の携帯電話に入った。 良太はその電話が意味することを悟ったが、どうしても電話に出ることが出来なかった。 その時の僕は奈緒と結婚していて、まるで「まりも」と入れ替わるかのようにくるみが生まれていた。加えてその日は五月のゴールデンウィークの真っ最中で、次の日から奈緒の義母と義父との五人での日光への旅行が控えていたために、夜には奈緒の実家へ向かうために自宅を出発しなければならなかった。

“まりもの容態が急変しました。息も途切れ途切れで意識が朦朧としていて苦しそうです。 最後にもう一度だけまりも逢ってやってください。 まりものパパは良くんだけなんだよ。 猫だって分かるんだよ。どうかまりもが生きている間に、もう一度まりもを抱きしめてやってください。どうか、どうかお願いします” 香織からのメールは、その日夕方になるまで何通にも及んだ。
奈緒とくるみを連れて奈緒の実家へと向かう電車の中で、良太はどうしようもなくやりきれない哀しみを抱えながら、あのマンションへ駆け出したい気持ちを必死に抑えて香織への返信を拒否した。 でも本当のことを言えば、良太は決して拒否などしていたわけではなかった。でもそれを言ったところで何も始まらない。良太と香織の「まりも」の命の終わりがすぐそこまで来ていたのに、良太はその「まりも」のもとへ駆け出したいのか、「まりも」が死んでしまうという現実から逃げ出したいのか、そんなことすらも分からなくなっていた。
奈緒の実家の最寄り駅に着き、ロータリーに丁度停車していたバスに乗り込もうとした時、良太のジャケットに入っていた携帯電話が再び震えた。それは、その日何度となく僕の来訪を懇願していた香織からのメールに違いなかった。 良太はバスに乗り込んで座席に座った後、そのすぐ傍らでキャッキャッと騒ぐ、まだ生後半年のくるみを見やりながら窓に頭をもたげ、ジャケットのポケットからケータイを取り出して、両手でそっと開ける。

“死んじゃった…”

その香織からの一言で良太の頭の中は一瞬にして真っ白になり、傍にいたくるみの頭をクシャクシャと撫でて傍に引き寄せた。くるみはそんな良太を見て笑ったが、 良太はくるみから目をそらすようにして窓の外に目を移すと、良太の中でずっと続いていた何かが決定的に壊れてしまったような気がして、空っぽになってしまった心で窓の向こうを見やりながら、笑っているくるみの温かく小さな頭をクシャクシャと、ずっと撫で続けた。

夕方、良太と奈緒とくるみが義母父の家へ到着すると、三人の来訪を歓迎する義父と義母の
「くるみちゃーん!」 という明るい声と満面の笑顔に、ばぁば、ばぁば、とほぼ真上に手を広げて抱っこをせがむくるみをじぃじが奪い取り、くるみは抱き上げたじぃじの頭にその小さな手を張り付かせながら、その幾分禿げかけたじぃじの頭を涎だらけにした。いつの間に付けたのか、水色のエプロンを着た奈緒が義母と楽しそうにテーブルに料理を運んでくる。
「良ちゃん、ここのお刺身すごく美味しいのよ、旅行の前日だから簡素に済まそうと思ったけど、せっかく来てくれたんだもの、奮発しちゃった!さ、食べて食べて!」
義母は本当に嬉しい、と言った様子で、じぃじを前にしてキャッキャッと笑っているくるみを見やりながら良太に言った。良太の目の前のテーブルに並べられた食べ物たちは本当にどれもこれも美味しそうで、実際にどれもこれも本当に美味しかった。ただ良太は、それが美味しければ美味しいほど、この部屋が賑やかであればあるほど、義母も義父も奈緒もこの部屋に流れてる空気も、優しければ優しいほど辛くてたまらなかった。こんな時にも俺は食べ物を美味しいと感じている、こんな時にも俺はこんなふうに楽しそうに話しながら笑っている、それが本当に苦しくて、苦しくて、胸が張り裂けそうだった。くるみのおかげもあって、最初から最後までそんな賑やかな時間を過ごした後で、
「あぁ本当に美味しかったー!お腹がいっぱいだぁ…ご馳走さまでした、ちょっと外へ煙草吸ってきますね」と良太は言って立ち上がる。
「夜はまだ冷えるから良ちゃんほら!」
とユニクロの上着を手渡そうとしている義母を、大丈夫です大丈夫です、と良太は遮って、リビングから離れた和室の掃き出し窓を開けて一階のベランダに出た。良太は庭を見渡しながら、三段ある階段の一番上に座りながら煙草に火をつけた。煙草なんてどうでもよかった。ただ、一人になりたかったのだ。
今頃「まりも」の亡き殻を傍に一人で哀しんでいるであろう香織のことを考えた。良太はすべてを悔いた。俺は一人で勝手に幸せになってしまった、無責任で思いやりの破片もない非情な人間だ、良太は心から打ちのめされると、そのベランダで頭をもたげ、小さく体を丸めながら泣いた。何十分経っても部屋へと戻ってこない良太を心配した奈緒が、ベランダの扉を開けて良太の様子を伺いにきて、そっと肩に手を触れた。

「良ちゃん、どうしたの?」

もう、隠すことなど出来なかった。
その肩に乗せられた奈緒の手は、信頼のすべてを乗せて良太を子供に帰した。

「まりもが死んじゃったぁ…」

良太は奈緒のほうを振り返ることも出来ず、頭をもたげたままの姿勢で、振り絞るような小さな声で奈緒にそう言ってしまうと、あとはもう、どこをどうしても止めれないほどに涙が溢れて、肩を震わせながら泣くことしか出来なかった。良太にとってそんなに激しく泣くことも、そんな姿を人に見せることも生まれて初めてのことだった。
良太は、香織の存在と香織からの連絡があってまりもの死を知ったこと、ずっと連絡があり続けていて助けを求められていたこと、今までずっとまりもの容体のことが気になって忘れられなかったこと、まりもの看病のために香織のマンションへ通い続けていたこと、思い付く限りのすべてを話した。
五月の温かい風がベランダを通り抜けて、良太の前髪をさわさわと揺らした。

「行っておいでよ。まりもちゃんの傍に行ってやりなよ」
奈緒は、心から本当にそう思って言っていることが分かるほどのやわらかい声で良太に言った。
良太は奈緒のその優しさに感謝したが、決して首を縦に振ることは出来なかった。
うん、ありがとう、大丈夫、そこまで言うのが精一杯の良太を、奈緒は黙って後ろからすっぽりと抱きしめてくれた。良太の首元で、奈緒の鼻をすする音が聞こえる。奈緒も泣いていた。
良太はその夜、奈緒にまりもの思い出話をたくさん話して聞かせた。奈緒も猫好きで、昔飼っていた猫を老衰で亡くしたことがあるので、まりものことでその猫のことを思い出したようで、その猫の思い出話も話してくれた。

「あ、まりもだ」
良太は綺麗に澄んだ夜の青い空に星を一つ見つけると、その星を「まりも」と命名した。
「きっともう名前付いてるよあの星。それに、そんなのすぐに見失っちゃうでしょ」
「いや、こんなにたくさんあるんだから大丈夫、きっと名前だって付いてないし、見失わない」
「ウソ…」
奈緒がそう言って、クスクス、と良太は笑って、奈緒も笑った。
月も無く、とても星がキレイな夜で、本当にまりもが星になったような気がした。線香を焚きたい、と言った良太に、 私もまりもちゃんにあげたい、と奈緒が言って、部屋にあるおじいちゃんの仏壇から線香を二本持ってきて、庭に線香を立てて焚いた。その紫煙がゆらゆらと空に昇ってゆく様をぼんやりと見つめながら、良太と奈緒は長いこと手を合わせた。
また涙が止まらなくなった。

「えーっと、この通りをあとは真っ直ぐ行ってくれればいいよ〜、途中でサーティーワンが見えてきたら右に曲がるんだけど、そこから先はナビしまぁす」
みどりのそんな言葉に、はいはい、と答えた良太は、早稲田通りを真っ直ぐ車を走らせた。
香織は今も、まりものいなくなった部屋に、かつて良太とまりもと三人で暮らしたあの部屋に、一人で住んでいる。懐かしい町並みが見えてきて、オレンジ色の煉瓦造りのマンションが次第に近付いてくると、あの楽しかった、まりもがいた日々のことが猛スピードで頭を巡り、良太は自分の鼓動が定まらなくなった。車がマンションの傍を通りすぎる時、良太は周りに気付かれないように息を大きく吸って息を止めると早稲田通りに面していた五階の香織の部屋に目をやった。

部屋の明かりは消えていた。

決して大げさな言い方ではなく、今も毎日のようにまりものことを思い出す。道端で見掛けた猫を見る時も、そのやわらかい体に触れる時も、その向こう側にまりもの姿が見えるのだ。香織がどうか幸せでありますように、と良太は心から願う。そしてあの時まりもは、自分が病気になることで、今にも離れてゆこうとしている良太と香織を必死に繋ぎ止めようとしていたのではないだろうか、とそんなことを考える。バカげてる、本当にバカげている。そんなことは良太も分かっている。だけれどそんなバカげたことを考えるのも、良太が香織とまりもとの日々を心から愛していたからだ。良太はまりものすべてと、あのベランダから手を振る香織の姿が大好きだった。

「カスミぃ〜、寝るなよぉ、そろそろ着くぞー」
良太はそう言ってカスミを起こすと、鼻に貼られた絆創膏を手で押さえたカスミが、目をこすりながら恨めしそうに良太を睨んだ。
これから先、良太が歳を取って、今まで付き合った女の子のことを忘れることはあっても、まりものことを忘れることはないだろう。そこに香織も同居してくるというのなら、香織も一緒に連れてゆく。遠い昔に地球から打ち上げられたボイジャー1号2号が、我々の暮らす太陽圏を飛び出した今もなお、宇宙の彼方を旅しているように、香織とまりもも同じように、良太の心の奥の部分で、今もまだ旅を続けている。
だけれど今、後部座席でスヤスヤと眠るくるみと、それを優しい眼差しで見つめている奈緒をルームミラー越しに見て、僕の愛しい日々はここでこうして息をして、ここに存在しているのだ、と良太は思った。

そう思った途端、良太は突然どうしようもない哀しみに襲われた。
あの日、レントゲンに映し出されたまりもの肺を覆う黒い影が目の前にチラついて、それはいくら振り払っても振り払っても、良太の頭から消えてゆくことはなかった。
良太は、自分の胸にもそんな黒い影があることを知っていたが、それは良太だけに見えて他人には見えない、それは一生、決してレントゲンに映ることなどない影なのだ、と思った。

門の音

  • 2018.12.13 Thursday
  • 20:25
姉との約束の時間をゆうに過ぎたというのに、三年振りに会った父の運転で、懐かしい地元の町を車で廻ってもらった。つい最近、父がこじんまりとしたアパートに引っ越した、との話を姉からの電話で知り、そんなことは父から一言も聞いていなかったし、我々家族四人が暮らしていた家に父一人で暮らすには確かにいささか広すぎるとはいえ、僕と姉に何の相談もせずに、長年住んだ愛着ある家を黙って手放すなんて信じられない!と、驚きと呆れがこんがらがって、この気持ちを何と表現しようと思ったが、父が今度引っ越したアパートで簡単な引越し祝いをするからあんたも久しぶりに顔ぐらい出しなさい!との姉の言葉に、それはもちろん行くよ、と言って、勤務先の同僚にお願いしてシフトを替わってもらい、何年か振りに生まれ育った地元の町へ帰省したのだった。


「チャラチャラしないでちゃんと働いてるのか?」

「うわー、自分のした行いは棚に上げて冒頭から小言とは!うん、それはまぁちゃんとやってるよ、自分なりにね」


父が運転する助手席から眺める故郷の町は、一見昔から何ひとつ変わっていないようにも思えたが、かつて雑木林が生い茂っていた場所にマンションの建設が始まっていたり、かつてそこにあったはずの田んぼが整地されて、何とも言いがたい同じような形をした小綺麗な建売住宅が並ぶように建っていたりして、町のところどころに確かな変化も垣間見られ、今年で六十八歳になる父の頭髪には、随分と白髪が目立つようになっていた。


「あー、、、あの口うるさい親父がやってた酒屋がコンビニになっちゃったんだー」と僕は言った。

どんどん変わってゆくよ、と父は言い、真っすぐと前を見据えてハンドルを握りながら僕に言った。


「ずっと昔、お前に父さんの車を貸してやったその日に、前輪のタイヤをパンクさせた揚げ句バンパーにでっかい傷を付けて帰ってきたことがあったろ?」

「あはは、あったあった」

「それが後々になって父さんにバレた時、お前は、あの参道の道が悪すぎたからパンクしたんだ!とか、俺のせいじゃないんだ!とか言って言い訳してたけど、どうせお前のことだから荒い運転でもしてたんだろう」

父が思い出したように僕にそう言ってきたので、 荒かったといえば確かに荒っぽかったかもしれないけど、あの当時はそれが荒いということに気付いていなかったなぁ、と僕は言った。

「ホントにお前には色々と苦労させられたからなぁ」

「確かにねぇ、、、色々とお世話になりました、なーんて」

と僕はおどけながら言うと父は笑った。

「まぁでも確かにお父さんもな、いつもあそこの参道を歩くたびに、この道はなんとかならんのかと思ったもんだよ。雨なんか降った日にはもう道がグッチャグチャでなぁ。家に着く頃にはお父さんの靴やズボンの裾なんて泥だらけになって、そんな状態で家へ帰るといつも母さんに怒られる。人が一生懸命働いて帰ってきたのにだぞ。アレにはいつも腹が立った。でもあの道な、今じゃすっかりキレイに舗装されちゃって、遊歩道まで出来たんだぞ」
と父は僕のほうをチラリと見ながら言った。

「へぇ、そこ遠回りして通っていこうよ、姉ちゃんは何とかなるよ」

僕は父を見ながらそう言うと、

「遅れたら待ってるお姉ちゃんに怒られるぞ」と言いながらも、父はそのキレイに舗装されて様変わりしたという参道へと向かって車を走らせてくれた。


久しぶりに親子三人で会うために、僕と同じように都合をつけて弟の僕がやって来ることを父の新しいアパートで待っている姉は、九年前に地方銀行で働く九歳年上の、絵に描いたように誠実そうな人と結婚し、父の住む家から二駅しか離れていない場所に住んでいる。

子供は、いない。親戚や周りの人々からは、結婚してもう九年も経つのだからいい加減子供を作ったらどうか、と耳が痛くなるほどにせっつかれ続けているらしいのだが、うるさいったらありゃしない、いざ子供が出来て産んだら産んだで、今度は二人目はいつだ、とかそんなこと聞いてくるんだからあの人たち、と前に電話で話した時に半ばふてくされた様子で話していた姉だったが、本当のことを言えばそれは作らないのではなく、姉か義兄のどちらかに原因があって、子供が出来ないのだ、ということであった。朗らかな性格でありながら、せっかちで気の短いところもある姉は、時間に関しては厳格な小学校の先生のように昔から口うるさかった。そんな姉を待たせてしまうことでつまらぬ小さないざこざを勃発させてしまうことを長い姉弟関係の中で重々承知していたが、僕は父が運転する車の助手席に深く身を埋めると、窓に流れる懐かしい景色に目をやりながら、深い追憶に浸っていた。


母が死んでから今年で十二年が経つ。お世辞にもいい母親だったとは言えないし、あまり好きな人ではなかったが、それでも母が亡くなった日の夜、僕は母の亡骸の傍からずっと離れられずにいた。冷たく、硬くなってしまった手をただただずっと握りながら、母親にとっての一生とはどんなものだったんだろう、母親にとっての幸せとは、いったいどんな形を成すものだったんだろう、そんなことばかりを考えた。けれどもいくら思考を巡らせようと、母親の幸せの定義など、例え肉親であっても僕に分かるはずもなかった。


「昔の家、見に行くか?あの辺り変わったぞ、びっくりするぞ」

と父が言ってきたので、僕はしばし考えた後で、行く、と答えた。

僕が十九で家を出て、母が亡くなった後、姉も結婚し、姉は旦那さんと父との三人で実家で暮らすことを提案し続けてきたが、それではお互いに居心地が悪いだろう、との理由から、その後は先述したように父一人で4LDKの家に住み続けていたのだが、僕と姉に何の相談もせずに、あの家、売ったぞ、と言って、新しい家の住所を教えてくれたのは、父がアパートに引っ越したとの連絡を姉から受けて、僕が何度も父のケータイに連絡をし続けたのちの二日後のことだった。


「あり得ないよ、黙って家売っ払うなんてさ」

「モテモテだったお前の部屋から出てきたいろんな女の子からの手紙な、あれ全部処分したぞ」

「からかわないでくれよ、そんなもん、別にいらないし」

「いらないのか?ホントは取ってあるぞ、何だかいやらしい本も出てきたなぁ」

「そりゃあるよ、同じ生き物としてお父ちゃんも分かるだろうよー」


小さい頃、家の裏手に広がっていた田んぼのあぜ道から森へと続く道を歩いて出勤してゆく父の姿を、二階の窓からよく眺めては手を振っていた。それは、父が仕事を終えて帰ってくる時も同じで、夕刻、または夜分に、遠くからよく響く口笛の音が聞こえた時、窓から顔を出してみると、森の道を下りながらもう一度口笛を吹いて、こちらに向かって手を振りながら帰ってくる父の姿が見えるのだった。それはいつ頃からか、これといった決まりもなく始まった儀式のようなものになり、一日の中での楽しみな時間のひとつでもあった。

父の姿が家の裏手に回って見えなくなり、僕が一、二、三・・・と三十を数え終えるころ、家の玄関から五メートルほど離れた場所にある小さな門が、カチャン、と音を立てて開ける金属音が聞こえ、父の靴の踵に打ち付けられてある金物の足音が近付いてきて玄関が開くと、家の中の空気が一瞬乱れて、窓ガラスや家具、ふすまがキシキシと微かに音を立てて鳴く。するとそれに少し遅れるようにして、ただいま、という、張りのある父の声が聞こえてくるのだった。


「お母さんな、あんな人だったけど本当はお前のことをずっと心配してたんだぞ。会いたかったんだよ、本当は。何十年もずっと一緒にいれば分かる」

父が僕にそう話しているのを、僕は黙って聞いていた。車はもう昔の家があるすぐそこまでやってきていて、昔の面影をところどころに残しつつも、こんな田舎にも都市開発の波が少しずつながらも押し寄せてきていることを、目の前の光景が黙って教えてくれていた。


「ちょっと止めて」

「どうした」

「ちょっと歩きたい」


そんな僕の言葉に、チラッと僕のほうを見た父は、今はまだ整地の手が及んでいない田んぼの脇へと車を寄せて車を停車させると、黙って車のエンジンを切った。

僕は車から降りてしばらくその場に佇み、目の前に広がる景色をぼんやりと眺めていた。僕はポケットから煙草を取り出して吸おうとしたが、父と待ち合わせをして待っている時に吸った煙草が最後の一本だったことを思い出し、煙草を吸うことを諦めた。けれどもそのおかげで、懐かしい町の匂いが体中に染み渡るようにすぅっと入り込んできて、僕をとてもやわらかな気持ちにさせてくれた。そして、僕が子供時代から思春期までのすべてを賑やかに過ごしたこの町は、いざ大人になって立ってみるとこんなにも静かな場所だったんだな、と思った。

歩いている途中で、突然ふと、僕がまだ小学生だった頃によく一緒に遊んでいた、坂内君という友達のことを思い出した。これといって特に仲がいいというわけでもなかったが、ただ近所に住んでいた、というだけの理由と、坂内君の家はちょっとしたお金持ちの家で、当時自分の部屋などは持っていなかった僕からすれば、小学生の身分で八畳もある自分の部屋を与えられていた坂内君のことを羨ましく思う気持ちと、何よりも坂内君の部屋にはトミーやらバンダイのポケットゲームがたくさんあったことから、そのゲームしたさに学校帰りによく遊びに行っていたのであった。

坂内君とは、夏の夜になるとけたたましく田んぼの中で鳴き叫ぶ蛙を静かにさせるために、そこらにある大きな石を拾っては田んぼに向かって投げ込んで蛙を鳴き止ませたり、捕まえた蛙をティッシュペーパーに包んで、ライターで火を付けて焼き殺したりして遊んだりした。 今思えば残酷とも思えるそんな行動も、幼少期を過ぎればそんな行動や発想もなくなって、いわば性衝動にも似たそんな感覚は、何せモテモテだった僕のことである。中学校に上がった頃にはやがて健全な形として異性である女の子に向けられるようになった。

そんなふうにある時期を共に時を過ごした坂内君が、スキューバダイビングの事故で死んだ、ということを人づてに聞いたのは、確か僕が二十二歳の春のことであった。

かつて自分が住んでいた実家が近くに見えてくると、坂内君への追憶はそこであっけなく途切れた。そして父が売り払ってしまった僕ら家族の実家の前に立つと、胸が不思議な高鳴りを持って動きだしたのを感じたが、それは興奮でも焦燥でもない、得体の知れないリズムであった。ここに住んでいた頃、何度も何度も幾度なく通って見慣れたはずの小さな門の脇の表札には、自分たち家族とはまったく関係の無い、知らぬ住人の名が壁に鎮座していた。けれども玄関へ行く前に開けなければならなかったあの小さな門は、あの当時のままの姿でまだそこに存在し、大人になった僕を迎えてくれていた。

ここを出てから十数年の月日が経ったのだ、と僕は思った。僕が家を出たことをきっかけとして、それから少しずつ、目に見える家族という在り方の形が変わってしまった今日までの日々を思い、僕は幼気な痛みに駆られた。その痛みは、僕をどうこうさせるほどのものではなかったにせよ、こんなにも静かな地で、あんなにまで賑やかな自分の家族がかつてここに存在していたことへの不思議な感慨に僕は静かに包まれた。

その時僕はその小さな門に手を触れて、その門をそっと開けてみた。すると、昔父が帰ってきたことを告げていたあの門の金属音が、あの頃と少しも変わりない音で、カチャン、と目の前で波紋のように広がったのだった。僕は何度も何度も同じことを繰り返してその音を聞いていた。


カチャン…カチャン…カチャン…


繰り返してその音を聞く度に、僕は深い郷愁の波に引き込まれ、そして飲み込まれた。そして突如として元気だった頃の母親の姿が蘇り、僕は母親に対して一度も心から手を振れなかったことを初めて悔いた。僕はいったい母親の何を許せなかったのだろう。許せなかったことで、僕と母親は結局何ひとつとして始めることが出来なかった。そして僕は、たったひとりの人間すらも許すことの出来ない、つまらない大人になってしまった。だらしのない母親で、幼少期から随分と悲しい思いを負わされてきたような気がしていたが、大人になってしまえばそんなものはとっくに消化出来ていて、どんなにだらしのない人間だったとしても、そんな母を父が愛して生まれてきたのが僕なのだ。そしてその僕が母親をずっと敬遠し続けていたことも、結局最後まで会えずじまいのまま母が死んでしまったことも、母を必死に愛そうとしていた父からすれば、それがどんなに悲しいことだったか。父はどうして僕と姉に黙ってこの家を売り払い、ここから離れなければならなかったのか、気のせいかも分からないけれど、何となく、少しは分かってあげられるような気がした。

僕は門から手を離してしっかりと閉じ直したあとで、しばらくの間、その門と家をじっと眺めていた。すると、さっきからの僕のそんな行為を不審に思ったのか、ここに住んでいる家族の母親らしき女が、二階の窓から怪訝な面持ちで僕のことを見つめていた。僕は気まずい思いで目をそらして静かにその場を離れると、一度も振り返ることなく、父の車が待つ場所へと踵を返した。


何もかもを変えたいと望んで家を飛び出したあの日。あれからたくさんの歳月を重ね、町も、家も、人も年をとった。あの頃、若い自分が思い描いた未来の形とは違う自分がそこにいて、頼りない自分の掌から、ただ膨大な時間だけがポロポロとこぼれ落ちていった様を心に見ながら歩いている時、目の前にあの頃と変わらぬ匂いの風がそよいで、僕は急にあの頃へと帰りたくなった。お金も無く、ロクな仕事もしていなかったが、途切れることのない夢と、まだ母親が元気だった頃の日々が、今の自分に深い愛情の感懐をもたらしたのだった。


車の中では、父が笑いながら誰かと電話をしていて、僕が車のドアを開けると、はい、お姉ちゃん、と言って、両手の人差し指を頭の上に立てながらケータイを僕に手渡した。


「ちょっとぉー!人が準備をしてお腹を空かせてあんたのこと待ってるのに、どこで何をやってるわけぇ!」

「あはは、ごめんごめん、今ちょっと実家を見にきててねぇ」と僕は答えた。

「はぁ〜?実家って…何でそんなとこにいるわけぇ?そんなの後ででいいじゃない!駅で連絡くれてから何時間経ったと思ってるのよ!こっちはあんたが十九時に来るっていうから、料理作ってずっとお父さん家で待ってるのに!今何時?もう二十時を過ぎてるじゃない!料理が冷めるー!」


そんな姉の声が受話器越しから父に聞こえていたのか、父は小指でほっぺたを掻きながら、 お姉ちゃん、声デカイなぁ、と言って笑った。気が立っている姉の気持ちを遮るように、いいじゃないかよ、別にまた温めれば!と言った後で、姉がまたガミガミと文句を言ってきたので、わかったわかった、もう向かうから、と言って電話を切った僕は、無造作にケータイを父に返すと、辺りは急に静けさを取り戻して、空では二羽の真っ黒いカラスが並んで飛びながら、カァカァ、と鳴いていた。


「もういいのか?」

「あぁ、うん」


車のエンジンの音が再び日常を取り戻す。あのあぜ道も、森へと続く道も姿を消してしまった。だけれども、今となりで車を運転している歳を取った父が、手を振りながらあのあぜ道を歩いてくる姿が、何故か頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え、幻のように揺らめくことをやめなかった。 そして何故かいつの日かまた、あの日と同じ光景に再び出会えそうな気がした僕は、今こうして我々が普通にここに生きていることに不思議な愛おしさを感じて、それがとなりにいる父に対してなのか、これからの日々に対してなのか、それはよく分からなかったけれども、妙に清々しい気持ちが僕をやわらかく包んでいた。


「ちょっ、ちょっと止めて!」

「なんだ今度は」

「ションベンしたい!」


僕は小さい頃によくしていたように、今ではすっかり肩身の狭い思いをしてしまっている田んぼに向かってションベンをした。あの頃はチョロチョロとした短い放物線しか描けなかったションベンは、今では右へ左へと、大きな放物線を描いて、勢いよく遠くへと飛んでいた。


「ションベンビーム!わっはっはーっ!」

「早くしろ。何をやってるんだお前は」


運転席に座りながら開いた窓越しに呆れた様子で父が言ったが、僕は聞こえないふりをした。

僕の頭の中では、あの小さな門を開ける時の金属音だけが深い残響として鳴り響いていた。それはどんな音よりも厳粛な響きで、まだ家族がひとつであった頃に家族の絆を刻み奏でていた、世界でたったひとつの、小さき愛おしい音だったような気がした。

ニューライフパラダイス

  • 2016.07.12 Tuesday
  • 22:59


月並みなことだけど
手紙なんて書いてみたよ
夕べずっと考えていたんだ
そしたらなんか泣けてきちゃったんだよ

お別れは笑ってしよう
明日になればお腹も空くさ
でも僕はまたウソをついたよ
わかってる 心は知ってる

もっと一緒にいたかったけど
誰かれにも「その時」はやってくる
胸にあるタイムマシーン
乗ってばっかいないでさ
もう戻っておいでよ

そう 僕らが旅を続ける限りお別れはあって
手を振りあっては
同じ夢を見ていた空の下を歩いている

アルフレードはこう言ってたんだ
「ノスタルジーに惑わされるな」
「自分のすることを愛せ」ってね
トトはじっと聞いていたよ

そりゃ毎日好きなモノでも
食べていたら飽きることもあるだろう
でも今夜もまた浮かぶ月を見て
飽きるもんじゃないだろ?
眺めていたいだろ?

そう 僕らが旅を続ける限り思い出はあって
手を取り合っては
同じ月を見ている空の下で笑っている

ニューライフパラダイス
忘れないよ あの日の涙
ニューライフパラダイス
宇宙の彼方にまだ愛は隠れてる
だからそいつを探しにいかなくちゃ

そう 僕らが旅を続けた後で溢れてくる
その思いは誰かのためなんだよ
それが心を満たしてくれる

だから歩いてゆける
笑ってゆける
だから愛してゆける



【ガチ解説】
自分がまだ二十歳を少し過ぎた頃に観た名画中の名画『ニューシネマパラダイス』を初めて観た時の衝撃は相当なものだった。劇中で町を離れるトトにアルフレードが言った
「ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ」
というアルフレードの言葉に、トトに対する深い哀しみと深い愛情が交錯して詰め込まれていて、心の奥から切なさで震えたことをよく覚えている。
そのおかげで僕はその後の今日までの人生で、アルフレードの言葉に何度も助けられてきたし、あれから二十年以上の月日が経った今も、その言葉は生き生きと僕の胸の中でまだ蠢いている。
だからタイトルからも伺える通り、この曲の半分はアルフレードが連れてきてくれた曲なのだけれど、僕は僕なりの人生の中で出逢えた愛すべき人たちの顔が書きながらたくさん浮かんで、どんなに陳腐な存在であろうと、歌を作ってそれを歌える人間で良かったと、こうした思いを曲として残す手段を持たせてもらえたことに深く感謝している。

まだ七月だというのに、今年ほど自分が大切に思い、深く関わってきた人たちとのお別れが多い年なんて無い。それは、死も含めて。
この世界に「絶対」なんてことが無い以上、誰ひとり例外無く、今傍にいる人たちが来年の今頃にも自分の傍にいてくれる保証なんて無いのだと、だからこそ傍にいることは奇跡なんだと、僕はずっと思い続けてきた。
広い道の時は良かった、けれどこの先の道が先細りになって崖道になっていたらどうする。
明らかにキラキラとした街がその先に見えている道と、その先に鬱蒼とした森しか見えない道とで分かれていたらどうする。どっちへゆく?そうやって僕らは自らの意思であったり、誰かに誘われたりの選択を繰り返し、今、この道の上に立っている。

正解なんて無い。
僕らは繊細な糸で紡がれた世界で生きていて、それを解れさすまいとあくせくしているけれど、一度ほつれてしまった糸を再び同じように紡ぎ直すことがどれほど難儀なことか、それは分かってる。
何故って、人はそれぞれの異なるスピードとやり方でこっそり経験して成長しているし、傍にいなければそうした変化に気付くことが出来ないから。
同じ場所で再び巡り逢ったとしてももう違う人間になっている、それが道筋というものだから。

それでも人ってかわいくて、どんなことがあってもいつかはしっかり立ち直り、笑い、人に出逢って、また誰かを好きになって新しいコミュニティを築き、幾多もの色の糸をまた自ら紡いでゆく。
新しい仕事に就いて新しい評価を手に出来る人もいれば、家庭を持ってパパやママになり、新しい喜びや新しい価値観を手に、真っさらで新しい人生を歩んでゆく人だっている。
自分が知らなくたって、大好きな人たちがどこかでしっかり人生を謳歌している、と想像するのは、相手が大好きな人たちならば楽しいことなのだ。

人を思う時って、自分がとてもたくましく思えるんです。
若い頃のように、根拠のない自信を掲げて自分自分と胸を張っていた頃よりも、ずっと深い部分でたくましく思えるんです。
それはなぜなんだろう、きっと大好きだった人や大好きな人からの言葉の欠片を拾い集めて胸がいっぱいになっているからなんです。
だから今までいた場所とは違う新しい環境での帰り道にふと、同じ月を見ているのかなぁ、と自分を通り過ぎた人たちのことを思える瞬間が多ければ多いほど、その人は良い人生を送ってきたに違いないし、その一瞬こそ胸が痛んでも、その時に笑ってさえいられたら、傍で笑ってくれる人がいれば、それは豊かで愛しき出来事としてまたひとつ自分自身に重ねられる瞬間になると信じているんです。

今の僕にはわかる。アルフレードが言った「ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ」という言葉には、自分という人間がトトにとって絶対という存在に成り得なかったことへの哀しみであり、絶対という存在としてトトを傍に置いておけなかった自らの無力さと悔しさに溢れていたのだと。

自分のためだけに生きるには限界がある。
絶対的な存在が傍にあるからこそ、絶対的に成り得る人が傍にいるからこそ、人間ってたくましくも弱くもなれる。
この世界の向こうにはきっとそんな人がいるよ、もしかしたらもう傍にいるんだよ、そうした気持ちを歌にしたかったんです。
でもまだまだ力不足なんだ。
伝えたいことの半分も表現し切れなかった。
だから僕はそれを手に入れるまでは歌う。
伝えたい人がいる限り僕は歌うんです。

でもね、アルフレードはウソつきだよ。
トトはアルフレードに言われた通り、ノスタルジーに惑わされず、自分のすることを愛しながら生き続けた。
だけどそんなアルフレード自身はノスタルジーに惑わされながら生き、そして死んでいったのだ。
そんな、かつていつも一緒にいたアルフレードとトトが、長い年月を越えてその思いを再び巡り合わせる最後のシーンは、人間という生き物の儚さと愛しさ、そして悲哀を含んだ喜びを教えてくれる。

僕も死ぬまでにそんな歌を作りたい。
届けたい人に届く歌を歌いたい。
この曲がそんな足掛かりとなる曲となってくれることを願って。

生まれる前から愛してた

  • 2016.06.29 Wednesday
  • 12:52


僕は何をしてたんだろう
時間ばかり奪って
季節だけ過ぎた

あなたは今何をしてるんだろう
僕を呼ぶ声が聞きたいよ

なんにも怖くはないから
その手を離していいよ
あぁ思えば それを口にしたあの日に
運命がそっと動いたのかな

だけど生まれる前から知っていたような
そんなあなただから
必ずどこかでまた逢えるよ
だからどうかその時までのバイバイ

だって生まれた時から愛していたような
そんなあなただから
残ってる言葉には出逢えるよ
そのたびに僕は力が湧く

ずっと生まれる前から愛していたような
そんなあなたとなら
必ずどこかで繋がってる
その時までどうか覚えていて

だけど誰かのものになるのかな
誰かのものになるんだろう
誰かのものになったなら
その時はどうか

生まれる前から愛してたあなただから



【解説】
たった二日前に出来た新曲で、歌詞と曲が同時に出てきたので、元来遅筆な僕が半日もかからずに書けた。
ギターも持たず、外でiPhoneのボイスメモに録音しただけなので、当然歌う際のキーもコードも分からず、27日の月曜の夜にギターの近沢くんを呼び出して一緒にスタジオへ入り、キーとコードを確認した。近沢くんは急な呼び出しだったのにも関わらず、僕の要望に応えてギターを二本持ってくれた、ありがとう。そしてどうやらキーはAでした。

男って情けない生き物ですよね。
「やっぱ好きやねん」に代表されるように、世の中には男が女心を歌って刹那的に歌い上げる曲に溢れているけれど、実際の女の人はそんなにヤワな生き物なんかではないと、僕は思っている。
男は名前を付けて保存、女の人は上書き保存、とはよく言うけれど、道に例えれば、男はひたすら真っ直ぐな道を歩き続けて振り向いては、まだあそこにいる、ちょっと歩いてはまだあそこにいる、と安心し、また少し歩いて見えなくなったら不安になり見えるところまでまた戻る、しまいにはもうそこにはいないのに、まだあそこにいる、と思い込んでは立ち止まって凝視し続ける、そんなバカな生き物なのだと思います。なぜわかるのか、って、それは僕が男だからに決まってる。

女の人はその長さこそ個人差はあれ、曲がり角を曲がってさえしまえば、もう一度その曲がり角へ戻って探しにゆくことなどないのだと思います。
女の人は男と違って暇ではない。
だから後ろを歩く女の人が曲がり角を曲がって見えなくなってしまう前に手を差し出してあげなきゃいけない。もしくは後ろを歩く女の人を見失わないようにしっかり見ながら前を歩かなきゃいけない。
でもそもそも女の人が男の後ろを歩いている、という発想自体が陳腐な自惚れで、男がボーッと空を見上げている間に女の人が男を追い越して、しまいにはその先の曲がり角をすでに曲がってしまっている、なんてこともある。
だからたいした距離を歩いたわけでもないのに振り向いたらもういない、そんなことも起こる。
何にせよ、どんなパターンを想像してもひどく滑稽で、やっぱり男はどこまでもバカな生き物だ。

出来ることなら真っ直ぐな道も曲がり角も、登り坂も下り坂も、雨の道も嵐の道も、お天道様に照らされた道も月明かりの下の道も、本当に本当に大好きな人ならば共に一緒に歩きたい。
でも必ずどこかで疲れてしまう。そんな時、自分はどうするべきだったのか、戻るべきだったのか、休むべきだったのか、良い道を探してあげるべきだったのか、考えれば考えるほど答えは風に乗ってあちこちに舞ってしまう。

だから男は女心を勝手に想像してはラブソングを歌い、歌の中で精算しようとする。
精算の意味が悲しみなのか再生なのか、それは現実の世界の話だけれど、少なくとも男は歌の中で夢を見て、そうであって欲しいという望みや願いを持ってラブソングを歌う。
女心を都合の良いように勝手に解釈して妄想すること。
これはつまり、男心の最もたるところなんですね。
でもだからこそ、僕は世の中に溢れる男が女心を思う曲って大好きなんです。
だからそれを伝えられる男のシンガーが大好きで、自分もそうでありたいと願うんです。

それが例えどんなに陳腐なものでも。
だって男自体が陳腐なのだから。
僕自身が陳腐なのだから。

僕の車窓から

  • 2016.06.13 Monday
  • 23:16

since1996 敦煌 月牙泉

僕を乗せた汽車は西へ向かい
煙をあげて走る
そして僕は 君を思う
旅へ出て 君と離れて
半年が経ち 一年が過ぎ
君は元気にしているのだろうか

あの頃が懐かしい
あの頃が懐かしい

旅へ出た理由は僕にもよく分からない
分からないけど
君にはずっと分かっていたことだろ?
ほんの少し寂しいけど
それは君も 君も同じ
強くなるよ 頑張ってみるよ

いつも自分に甘えてばかりいた
だけど一人じゃ何にも
出来ないわけじゃないだろ?
急ぐことはない でものんびりも出来ない
何が大切なのか分かるためには
傷つくことだって必要だろ?

きっときっと きっと上手くゆくはずさ
でもちょっと 今はちょっと少し
君の声が聞きたい
車窓から見える今日の月はやけに青くて
だいぶ汚れた君の手紙を読むたびに
思い出すんだ あの空を

日が暮れる時 夜眠る時
考えること ひとつだけだな
君のことさ ふたりのことさ
こんなふうに離れていても
寂しさを力に変えてゆくことが出来るのなら
素敵なことだよね

今日も誰かと 手を振って別れる
なんでこんなに涙が溢れてくんだろ
僕も行かなきゃ そして少し急がなきゃ
どうしても譲れないものがあるなら
無理することだって必要だろ?

でもほんのちょっと
ちょっと弱くなってしまう夜もある
だからちょっとくらい
ちょっとくらい君に誉められたいな

きっときっと きっと上手くゆくはずさ
でもちょっと 今はちょっと少し
君の声が聞きたい
車窓から見える今日の月はやけに青くて
だいぶ汚れた君の手紙を読むたびに
思い出すんだ あの空を

君の瞳も唇も髪も耳も
指も胸もすべて思い出すのさ



【プチ解説】
現在の自分の代表曲と呼べる曲が『月にさけべ!』や『さよならリメンバー』であるとしたら、二十代の頃によく出演していたLOFTの店長やお客さんたち、つまり友人を除く多くのお客さんに初めて評価して頂き、ライブのたびに必ず歌っていた曲がこの『僕の車窓から』だった。
当時はライブのたびにアンケートを取っていたのだけど、ある日、のちに一緒にバンドを演ることになるMSGのメンバーであるサモンちゃんから、
「ナオトさんのライブはお客さんがみんなライブ中に歌詞をガン見していて異様な光景だ!」
との声に、言われてみれば確かにそうだ、と思ったのと同時に、アンケートを取ることに何の意味があるんだろう、と思い直して止めてしまったものの、毎回10〜12曲を演奏して歌うステージで、しかもカラー表紙歌詞冊子付きのアンケートに、殆どの人たちがマルを付けてくれていたほどの人気曲でした。

今はワンマンはもとより、長い時間のライブの時でも殆ど歌わなくなってしまったけれども、自分の中ではとても思い出深い大事な曲として今も胸の中にしっかり残っています。

不定期ながらも毎回デュオを組むたびに好評の声を頂いているもりきこJUNNYちゃんと、レパートリーも増えてきたことだしそのうち二人でワンマンを演ろう!なんて話も出ているので、その時にこの曲に出逢ってもらえたら嬉しいですね。
汽車なんて今の時代走ってませんよね、なんて当時は言われたものだけど、走ってたんです、西の方の中国では!
この曲を作るきっかけとなったのは下記のブログの体験が元となっています。
旅のことはもちろん、当時のナオトバンドも懐かしい。
モノより思い出とはよく言ったものです。
そのうち若き頃の旅回想記など書いてみたいですね。

2013年2月18日のワンタイ参照。
『旅の話、そして現在。』

自転車ストロー

  • 2016.03.04 Friday
  • 20:10


「さ、早く帰らないとお母さんが心配するよ!」
姉のその言葉で、スーパーのジューススタンドでクリームソーダを飲んでいた少年はいそいそとソレを飲み干し、ストローだけを名残惜しそうに口にくわえながら、急ぎ足でスーパーを出ようとする姉の後を追った。夏も真っ盛りの八月、小学五年の姉と二つ違いの弟である少年は夏休みの真っ只中で、暑さに茹だりながら部屋でゴロゴロとしている様子を見た母親が、いつまでも家でゴロゴロしていないで外にでも行って来なさい、と言って、伯方の塩と胡麻油、あとはボソボソになりかけているお父さんの豚毛の歯ブラシを一本買って来てちょうだい、との使いを頼まれて、姉と少年は自転車で家から十分程の距離にあるスーパーへと買い物へ来ていたのであった。

「ねえちゃん、無線ごっこしながら帰ろうぜ!」と少年は言った。
しかし姉はそんな少年の言葉など気にとめず、そそくさとスーパーの自転車置き場へと向かうと、
「くだらないこと言ってないで、ほら、早く行くよ!」
と言って買い物袋を自転車の籠に入れると、脇目も振らずに先へと自転車を走らせた。少年はくわえていたストローを自分の自転車のハンドルについてあるベルの隙間へ無理やり挟みこみ、まだクリームソーダの甘い香りが残る口元の蛇腹の部分をククッと自分の口のほうへと曲げると、
「応答願います!応答願います!」
と無線機のマイクに見立てたそのストローの先に向かって叫びながら姉の自転車を追った。無線ごっことは、たった今少年が思いついたことで、自分と同じように姉にも自転車にストローを取り付けてもらって、応答願います!と言ったら、了解!などと応答してもらいながら自転車を走らせて欲しかったのだが、無線ごっこをするにもそもそも姉はストローをすでに捨ててしまっていたし、そんな頓知間なくだらない遊びに小学五年にもなった姉が付き合うはずもないことが、少年にはまだよく分かっていないようであった。

「待て待てーー!待つのだーー!」
先をゆく姉と少年の距離は、二トントラック三台ぶんくらい離れていて、姉は下に国鉄が走る陸橋のふもと付近へとすでに差し掛かっていたが、あの陸橋を越え終えるまでには姉の自転車を追い越してやるのだ、と少年は強く決意し、鼻息をいっそう荒くして立ち漕ぎをしながら姉の自転車を猛追した。少年は陸橋の上り坂を一気に上り切り、下り坂の中腹付近でついに姉の自転車を捕らえると、少年は前傾姿勢でストローの先に向かい、
「発見!発見!ただいま敵を捕らえました!」
と叫びながら姉の自転車の脇をすり抜け、ついには追い越したのであった。
「おーー!いえーーーーぃっ!!」
無線ごっこなのだから、敵もクソもないはずなのだが、少年はこの戦いの勝利者となり、得意気になって姉のほうを振り向いた、その時である。

立ち漕ぎをやめてサドルに座りかけた際、猛スピードで走っていた自転車のペダルから少年の足が外れて路面に足が付くと、瞬時にしてバランスを崩した少年は転倒してしまい、多くの車やトラックが行き交う車道へと自転車ごと投げ出されてしまった。あまりに一瞬の出来事に、少年はいったい自分の身に何が起こったのか分からなかったが、投げ出された少年の体と自転車は少年の意思で止められるはずもなく、陸橋の下へ下へと転がることを止めなかった。
少年のすぐ後方を走っていた青い色をしたダンプカーが、その重い体を制止しようと、すさまじくも忌々しい大きな音を立てながら急ブレーキをかけ、それは少年のすぐ足元で止まった。
「バカヤロー!」
大きな怒声が仰向けに倒れている少年の頭の上から聞こえて、トラックのドアが激しく開かれると、白い汚れたタンクトップを着た屈強な男が血相を変えながら降りてきて少年の元へと駆け寄ると、
「大丈夫かおい!」と倒れている少年の細い肩をさすった。
「うぅぅ、、うぅ、、、」
少年は路面を転がっている際に顎と肩、肘と裏太ももを強かに擦りむいて、特に半ズボンから覗く右足裏太もも辺りは広範囲に渡っての擦り傷を負っていて、霜降り肉のようになって赤い血が滲み出している擦り傷の中には細かい砂利が多数食い込んでいた。男は少年の小さな手を握りながら、「頭打ってないか、大丈夫か!」ともう一度問いかけた。
「うぅ、すいませんでしたぁー、、、」
少年はそう言って路上に座りながらペコリと男に頭を下げると、男は少年の顔と体をくまなく凝視して確かめた後に、「よし!」と言って、握ったままの少年の手を引き上げて立たせると、少年の頭をクシャクシャと激しく撫でながら、
「気をつけろよォー、こんなところでお前、、、危うく轢き殺すところだったぞ!」と言って、少年は、「うぅ、ごめんなさぁい、、、」と言って再び頭を小さく下げた。

陸橋の片側車線がそのダンプカーを先頭にして渋滞を起こし始めていて、その反対側車線では、そんな少年と男とのやり取りを、何事か、と思うような目で見ながらゆっくりと車が傍を通り過ぎていた。そしてどこの誰かかは分からないが、道路の真ん中まで放り出されてしまった少年の自転車を押して陸橋の壁にかけてくれていた。そんな最中、心配もせずに後ろで大笑いしていたその姉とは、少年であった僕の、実の姉である。まったくひどい人だと思う。

その後、白い汚れたタンクトップを着た男が運転席からヨレて古びた絆創膏を二枚持ってきて、その太い指で少年に渡すと、
「貼っとけ。でも家帰ったらちゃんと手当てしとけよォ、気をつけてなー」と言って僕の頬を軽く叩きながらニヤリと笑い、後続車の運転手に軽く頭を下げながら足早にダンプカーへと乗り込むと、荷台からバラバラと砂利をこぼしながらその重そうな体を再び手荒く動かした。やがて渋滞していた車列が正常な流れを取り戻すと、僕は壁にかけられた自転車のもとへびっこをひきながら歩いてゆき、ひしゃげて歪んでしまった前輪を、少し先にあったガードレールとガードレールとの間に挟み込みながら、必死に元に戻そうと試みたが、車輪はいつまで経ってもひしゃげたままの形で、元通りの姿には戻ってはくれなかった。

姉は本当に可笑しい、といったように笑いながらやっと僕のもとへやって来ると、
「だいじょぉーぶー!バカだなぁもう!」と言いながら、霜降り肉になった僕の裏太ももを覗き込んだ。
「うるさい!なに笑ってんだよ!」と僕は泣きそうな声で抗議した。

「なおちゃん、そんな自転車はここに置いて、おねえちゃんと二人乗りして帰ろ」
「ねえちゃんのバカタレ!」
「なんで?なんであたしがバカタレなの!」
「ねえちゃんなんて嫌いだ!この薄情者!」
「なんでー!なおちゃんが一人で勝手に無線ごっこしようなんて言って勝手に転んだんでしょー!」
「うぅ、、、!姉ちゃんなんて嫌いだ!先に帰れ!」

僕はひしゃげてしまった自転車を押しながら、家までの道のりを歩いた。先に帰ってしまっていたと思っていた姉が、陸橋から少しばかりいった曲がり角を曲がったところで待っていて、傍に来た僕の額を笑いながら突つくと、持っていたピンクのハンカチをそっと太ももの傷に当てながら、
「あーぁ、痛そ!本当にバカなんだからぁ、お家帰ったらすぐ手当てね、さ、帰るよー」と、さっきの男と同じことを言って、僕は痛い痛い、と言いながら、僕に代わって姉が押してくれている僕の自転車のひしゃげた車輪が、歪曲しながらクルクルと回り続ける様をぼんやりと見つめながら歩いた。
それがひどく天気の良い日で、あちこちに大きな入道雲が生えて空を塞いでいたことはよく覚えている。けれども無線機のマイクに見立てたストローがどこへ飛んでいってしまったのかは僕には知る由もなかったし、知る必要もなかった。

あれから何十年という月日が流れて、僕は少年から青年を飛び越えて中年になってしまったが、大人になった今も、そこがモスバーガーであろうとマックであろうと、こうしてストローを見るたびにあの時のことを思い出す。
遠く、青い日々の、まだ恋も知らぬ頃の思い出の一頁である。

コピーアンドペースト

  • 2016.01.06 Wednesday
  • 20:00


毎年毎年、正月に書くことなんて決まっているのだから、いっそのことここはコピペでも構わないじゃないか、という気もするけど、文章だからコピペなんて言葉があるものの、毎朝仕事先で口にするおはようございます、という挨拶なんて、ある意味コピペのようなものだ。だってそこにどれだけの想いが込められているのかと問われれば、ただ無感覚に口にしているだけのほうが遥かに多いはずだし、それに比べれば文章での挨拶は表情は見えないものの、遥かに想いを込めて書いている。
何せコラムカテゴリーとしてワンタイを書くのは昨年の四月以来八ヶ月ぶり。
今まで何をしてたんだ、ということはさて置きとしても、お久しぶりです、という挨拶もあるのにコピペなんてするわけにはいきません。
ということでワンタイを訪れてくれた皆さま、心を込めて、新年明けましたねおめでとうございます!
(そもそもこんな短文をコピペする必要は無い!)

それにしても2016年ですよ、2016年!
長い長い間人々の心に棲みついて、西暦1999年を迎えることに恐怖を感じていたノストラダムスの呪縛から解き放たれてから早17年。今や若い子たちにノストラダムスと言っても、あー!マリファナ吸える国ですよね!なんてトンチンカンな返事が返ってきて、あのね、それはアムステルダムだよ、、、と教えてあげても、あ、そうでした!間違えました!運河でしたね!なんて言われて、運河?とこっちの頭が少々混乱してしまうほど、ノストラダムスは取るに足らない存在に成り下がってしまったが、考えてみればルパン三世の山田康雄だってドラえもんの大山のぶ代だって今の子たちはきっと知らない。
それもそうだ、だってその逆も然りで、山田康雄を引き継いだクリカンならまだしも、大山のぶ代のドラえもんを誰が引き継いだのかなんて、ウィキペディアでも開かない限りおいらだって知らないのだ。

でも知らないことは恥ずかしいことでも何でもないよね。むしろ知らないという事実を知ることで、自分はもちろん、相手が今日これまでの間にそれらの物事に対して何の興味も抱いてこなかったことを知ることが出来るのだから話は早い。
知らなかったことを知れたことで興味を抱くきっかけになることもあれば、知らなかったことを知ったことで、いよいよ決定的に興味を失くすきっかけになることだってあり得る。あぁ、だから人って面白い。
このワンタイというブログにしても、なぜ八ヶ月も更新しなかったのか、という理由は誰も知らない。
ただ、拝読する意思が無くとも受動的に目に入ってきてしまうTwitter等のSNSとは異なり、ブログは受動的とは違う、興味を持ってもう一歩踏み込んでくれた人たちが訪れる場所だと思っているので、おいらももう一歩踏み込んで書き綴る必要は、ある。何があったかを伝えたいわけではなく、それらを通して何が残って何を思ったのか、そうした心情を少し書くことくらい、ここを訪れてくれた人たちに対しての礼儀なのではないか、と勝手に思っている。
ではなぜ八ヶ月もの間もワンタイを放置していたのか。
それはズバリ。おいらだってよく分からないのだ。

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便りが無いのは良い便り。
最近の在宅老人たちの末路を思うと、そんなことももう言っていられないだろう。
便りが無いのは死んでる便り。
ま、いくら何でもこれは不吉だ。

ただ去年の一年間は、とてもモノ作りをする人間とは思えないほど、アーティストとしては完全に終わっていたと思っている。
もちろん良いことも嬉しいこともたくさんあったけれど、それはただ自分自身の利益に限られたことで、自分が誰かの役に立っているという実感がまるで希薄な一年だった。なのでこれを糧にして今年は、、、というより、人として有益な時間を得てこれなかったこと、いや、与えてこれなかったことへの憂いは、一年ぶんのブランクを背負ってしまったくらいの気持ちでいる。
ウサギは寂しいと死んでしまう動物と聞くけれど、人間は寂しくたって別に死にやしない。
けれども、誰の為にもならないような時間を多く過ごすことはやがて人間の心を貧しくさせる。貧しくさせているのは何だ。それはただ心の中で様々なモノが死にかけているからで、むしろそこに何も無いのだ。
それは寂しいなんてもんじゃないし、悔しいなんてもんじゃないし、情けないなんてもんじゃない。でも巡り巡って同じ場所をぐるぐると回るから、よく分からなくなってくる。だから死んでしまいたい、とかろうじて思うかも分からないけど、そんな勇気も無いし、そもそもそんな気も無いし、それも踏まえて生へのエネルギーのほうが遥かに勝っているから、ウサギの気持ちはやっぱり分からない。

さきほど、知らないことは恥ずかしいことではない、と書いたけれど、知ってしまうことで怖くなったり躊躇を覚えることに比べれば、知らないことで恥ずかしい思いをしたり怒りを覚えたりすることのほうが質量が軽い気がしてのことだ。
だって総じて言えば、知らなければ許すも許さないも無いけれど、知ってしまうことは、それを許せるかどうか、という本質に繋がって深く問われるわけでしょう。
おいらは人に迷惑ばかりかけてきた人間だから、人に対して人に迷惑をかけるな、とはとても言えない。もし言えるとしたら、これからもお前に迷惑かけるから、お前も俺に掛けてくれ。それだけに尽きる。
でも言えない、って何だろう。それは負い目も理由のひとつ。負い目が増えれば増えるほど、言いたいことは次第に言えなくなるし、言葉の説得力は急速に失われる。そもそも言葉の説得力云々の前に、キュークツになっている心からそんな言葉が生まれるわけがないし、そんな人間が偉そうに何かを言ったところで、あいつ何言ってんだ、となる。
俺は(私は)今までの人生の中で負い目なんて一つも無い、と胸を張って言える人ももちろんいるだろう。でも自分は違う。負い目を背負うことが悪いことだらけとは思わないけれど、やっぱり荷物は軽いに越したことはないし、やっぱりそのせいで誰かに迷惑はかかっている。心を身軽に保ちたいのなら、自分が望むような自分であり続けたいのなら、自分が思うように人に何かをしてあげたいのなら、出来るだけ負い目を持たないことか、減らすことだろう。
そして心を強く保ちたいのなら、誰かの荷物をそっと預かってあげることだ。
そして内田裕也ならきっとこう言うだろう、バカ野郎、人に迷惑かけなきゃロックじゃねーよ、大事なのはそれを許せるかどうかなんだよ、サンキューロックンロール。

内田裕也がテレビでコメントを口にするたび、ロックンロールは関係ねーだろ、といつも思う。
でももし内田裕也がそんなことを言っていたら、おいらはきっと許してしまう。

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去年はずっとそんな日々の中にいて、自分に足りないモノばかり探して搔き集めていたら、逆に余計なモノばかりが増えていた。
そしてワンタイは、余計なことばかり書いているような気がして、更新をためらったり消去したりを繰り返していたのだが、余計だと思っていたことにこそ大事な言霊が潜んでいて、いざきちんと書こうと思ったら、すっかり書く力が失くなっていた。
今回だって危ない。ただでさえ書くことに長けているわけでもないのに、この八ヶ月のブランクでこんなまとまりの無い文章をここまで羅列させている。危険だ、更新するのやーめた、となりかねない。
でも新年の挨拶を考えれば、鏡開きまでの間に更新する必要があるし、僕、人生楽しんでます!今日友達とこんな遊びをしたよ!友達多いっしょ!ライブ絶対観に来てー!
書きたくないよね、そんなこと。そんなアピールをしたいだけの場なら、とっくにブログなんてやめている。

消えたと思っていても、大事な場面や肝心な瞬間で不意に顔を出してくるのがMr.コンプレックス。
やぁ、またおまえさんかよ、となる。
哀しみやコンプレックスは質量が重いから常に沈殿する宿命にあるけれど、あくまでもそれは沈殿であって、殆ど消えることは無い。時が経って上積みが幾らキレイになったところで、自ら掻き回してしまったり、他者から掻き回されたり激しく揺さぶられたら、それまで沈殿していたモノはあっという間に広がって上積みをそれらで染めてしまう。だからまたそれらが沈殿してゆく様をしばらくジッと見つめながら、時々上積みだけをドボドボと注ぎ足してみたり、容器そのものを入れ替えてみたりするのだけど、結局は上積みを注ぎ出そうと容器を入れ替えようと、ましてや沈殿する時をジッと待ちながら見つめていようと、そんなことをしていたって問題はいつまでも解決しない。
キレイな上積みだけを飲もうなんて都合が良過ぎるし、上積みだけ相手に飲ませることもまた然り。
むしろ掻き回して薄くなった時こそ、それらを一気に飲み干す絶好の機会ではあるまいか。今回のワンタイはまさにそんなモノ。

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「ちょっとおやじさん、大丈夫?」
年齢は六十五、六、と言ったところだろうか、まるで土下座でもするかのように路上に額を擦り付け、体を小さく丸めながら微動だにしない男の傍を、怪訝な表情というより、無関心な様子で通り過ぎる人々の中で、おいらは男の肩をそっとたたく。
別に親切にしてやろうと思ったわけではない。ただ、仕事場の入り口を塞ぐように男がうずくまっていたので声を掛けた、と言ったほうがきっと正しい。
埃だらけのボア付きの紺のジャンパーから、どこが発生源かは分からないが、何日も風呂に入っていないかのような、あの脂っぽい特有な男の臭いが鼻をつく。返事がない。一瞬死んでいるのかと思ったが、どこかに怪我を負って血を流している様子は見受けられなかったし、顔を近付けてみると、うぅ、と小さな声をあげている。

「おやじさん大丈夫?どうしたの、生きてる?」
おいらは再び男に声を掛ける。
「○△×?∩∞≦♯〜〜」
「え、なになにー?」
「あしがよー、、、うごかないんだよォ、、、もうよー、、、」
ひどく小さな声だったが、おいらの呼び掛けにそう答えると、沈痛な表情を浮かべながら寝返りを打つようにして、男はそのまま路上に仰向けになってひっくり返ってしまった。
「あらー、、足かー、、、痛い?立てる?いけそうなら手ぇ貸すよ、ほら」
「○△×?∩∞≦♯〜〜」
「なになにー?おやじさんおうちどこ?帰れるー?とにかくこんな道のど真ん中で寝てたら蹴飛ばされちゃうよー」
「いいんだよォ、、、死んだってよぉ、、、もうよォ、、、おれなんかよォ、、、もう死んだってよォ、、、」
「わかったわかった、もうしょうがないなー、どうする?これおまわりさん来ちゃうよー」
おいらがそう言うと、男はびっくりするくらい小さな目を開けながら、
「にいちゃんわるいなぁ、、、わるいなぁ、、、いいんだよォ、、、おれなんてよォ、、うぅぅぅ、、、」
と言った。

こんな時、村上春樹の小説なら、やれやれ、という台詞がピッタリだろうな、とおいらは思った。
頭上では街のネオンがギラギラと光って、至る所から奇声や笑い声や音楽が聞こえる。短いスカートを履いた女の子二人組が向こう側からやってきて、今まさに、仰向けに倒れている男の顔のすぐ傍を通り過ぎようとしている。彼女たちにとって、目の前の男はもうすでに男ではなくて、その辺に転がっている石ころと大して違いはないのだろう。もしおいらがここに横たわっていたら、さすがにこんな顔元の上を通り過ぎようとはしないはずだ。
おい、チャンスだぞオヤジ!目をかっ開いてかわいいパンツを拝んでしまえ!

そんな時、やっぱり誰かが通報なり交番に伝えに行ってあげたのか、予想通りおまわりさんがやって来て、さっきまでのおいらと同じように、あーあぁー、どうしたの!ダメだよこんなとこで寝ちゃ!と言いながら男の肩をポンポンとたたく。
「ほらー、来ちゃったおまわりさん!うーし、じゃあ帰るよー、またね、おやじさんしっかりねー!」
「うぅぅぅ、、、にいちゃんありがとうなぁ、うぅぅぅ、、、」

男に何があったかなんて知らないし興味も無いけれど、どこを切り取っても強欲そうな街の喧騒と男の小さな生命力の対比が何とも生々しく、自分は何てまだまだ若いのだろう、と思った。あんな風にはなりたくない、と思ったわけではない。むしろ自分がいつあんな風になってもおかしくないとすら思う。
けれども何だか正体不明の勇気が湧いてきて、生きてるって、つまりこういうことだよぁ、と、日々への愛しさがふつふつと込み上げてきたのだ。
家族も友達も、仕事もしがらみも、好きな人も苦手な人も、お酒に酔っ払うことも女の子に酔うことも、歌を歌うこともギターを弾くことも、毎日はほぼ同じことの繰り返し。
でもそれは、コピーアンドペーストとは違うのだ。

たくさん持つことが必要なのではない。
必要なものを傍に、そして誰かのために必要な人であれますよう。
だからどうか、みなさん今年もよろしくお願いします。



『鈴木ナオトバンド 2015年もどうもありがとうドキュメント』2015.12.29 新宿OREBAKO

君と僕

  • 2015.10.20 Tuesday
  • 12:30


あぁテレビの中は
もうバラエティばっかりで
みんな必死になって
数字を取ろうとばかりしてるよ

「もううんざりね、なにこのつまんない人」
ノンアルビールを飲みながら 君が言う

ろくでもない
でもこの美しき世界で
今君に何を届けよう
頼りなき毎日に
胸がグッとくるような

君もそうだろ?
今もそうだろ?
何も難しいことはない

僕はそうだよ
ずっとそうだよ
今も聴こえるあのメロディ

ダーリンダーリン!
なんだいベイビー?
振り向けば
笑っている 僕のそばで

ろくでもない
でもこの麗しき世界で
君と僕の何を繋げよう
たくましく 矛盾もない
そう 愛と呼べるような

だけどそうだよ
みんなそうだよ
迷いながら歩いている
だからそうだよ
みんなそうだよ
一人より二人がいい

ダーリンダーリン!
こっちおいでよベイビー
抱き合えば
狭い部屋も広い海になる

そうだよ これでいいんだよ
君と僕 僕と君




【プチ解説】
色々とブログを書き溜めてはいるものの、なかなかまとまらずに書き終えることが出来ぬまま、気付けばワンタイの更新が何と三ヶ月も滞っている。
ブログを書き始めてから今まで十二年の間で、これほど長い期間ブログを更新しなかったことは一度も無く、いくら何でもこれは酷い、ということで、今回も前回前々回に引き続いて歌詞カテゴリーから、新曲「君と僕」のプチ解説です。

プライベートやライブMCでの下ネタが多いせいなのか、あまりそうしたイメージを持たれることなく誤魔化せている(誤解されている)と思うのだけど、自分の曲は明るい曲が少ないんです。じゃあ暗いのかと言われるとそんなことは無いのだろうけど、例えば朝の光が射し込む部屋で流せるような、例えば天気の良い昼下がりの海岸通りをドライブしながらかけたくなるような曲が僕には無いし、夏のBBQで誰かが持ってきていたギターを渡されて「ねぇナオトさん、何か歌って!」と女の子に可愛い顔で頼まれたとしても、そんな場面に相応しい軽快な曲を僕は作ってきていないのだ。
コレ、ちょっとしたコンプレックスでもあったんですね。

この「君と僕」は先月九月の代々木laboスリーマンに合わせた新曲だったのだけど、同時に自分の中では復帰作という意味合いもあって、今までの自分の曲調には無かったような軽快な曲を書きたかった。さよならリメンバー的な曲ではなくて、先述したような天気の良い午前やドライブ中に流したくなるような曲を書きたかった。
ただBメロからサビにかけてはだいぶ前から出来ていたものの、どうしても良いAメロが浮かんでこなくて、最終的には3パターン出来たのだけど、歌詞が同時に出てきて、なおかつ言葉乗りが良かった今の形に落ち着いた。

歌詞はメロディが無くとも詩として成り立つもの、とこだわり続けてきた気持ちはひとまず隅において、歌詞だけ読めば別に何てことない歌詞だけど、メロディに乗ると生き生きと言葉が動き始めるような曲を、と明確な目的を持って作った曲なので、それが一人よがりな結果になることなく、そんな曲として届いてくれたら嬉しい。
とは言うものの、やっぱり100%言葉乗りだけを重視した軽快なことを書き切れていないのがまったく自分らしいというか、伝えたいことを残しておきたい気持ちが歌詞に出てしまうのは、もう致し方ないのだけど、どこか一節にでもそういう思いを残しておかないと、歌い続けてゆくことなんて出来ないんだよね。

本当はもっと解説したいところだけど、今の時点でもプチ解説ではなくなりつつあるので、前回のようなガチになる前にやめておこうと思うが、あとひとつ。

初披露のライブでは、Aメロの五小節目からの歌詞を
“みんな必死になって笑いを取ろうとばかりしているよ”
と歌っていたのだが、僕がいうバラエティばかり、というのは何もお笑いのバラエティ番組だけを指しているわけではないので上記の歌詞になった。
あとは最後の一説を、
“君と僕 僕と君”
と現行のまま君と僕の距離感を保つべきなのか、
“君と僕 僕の君”
と歌って胸キュン度を上げてやるべきなのか、今も悩みどころである。

あぁ、今回も長くなった。


2015.9.21 代々木labo 鈴木ナオトバンド「君と僕 」ショートver.をワンタイ読者だけに限定公開。

小器用なひと

  • 2015.07.15 Wednesday
  • 21:00


あぁ、不器用なひとは言葉が足りなくて
胸の奥の思いを上手く伝えきれない
あぁ、おしゃべりな僕は無駄な言葉が多くて
どれも嘘じゃないけど君に上手く伝わらない

あの無口な人が笑えば
きっと季節外れな花も驚いて咲く
小器用な僕は 誰かに合わせて上手く笑う

水のように透き通ってたはずのこの思いは
覚えてきた言葉たちにジャマされてしまう
あぁ、軽薄なロマンチストの言葉より
不器用なひとの笑顔は美しい

もう何か面倒くさいし あなたがそう思うなら
もうこれ以上何も言うつもりもないけど

誤解がずっと解けないのなら
そのイメージの中で泳いでみましょう
あなたは何も知らないままで 僕を責める

泣くことよりは簡単なこの振る舞いかたは
時々すごく疲れるから ゆっくり眠りたい
もしかしたら一番守りたい人は誰でもなく
僕自身なのかもしれない

水のように透き通ってたはずの言葉たちを
覚えてきた知識とやらで難しくしてしまう
カッコつけることがこんなにカッコ悪いことだと
僕も気付いて

ホントは君も気付いてる
それでもイメージが大切な小器用さんは
今日もまた笑う



【プチ解説】
時々、君はナルシストだね、と言われることがあるのだけど、僕はそのたびに、ナルシストだなんて、それはある意味褒め言葉だよな、と都合良く解釈して胸に収めている。
だって他人がどう思おうと関係ない、俺は俺だから(私は私だから)と、いくら嘯いてみても、みんな少なからず他人のことを気にしながら生きているでしょう。
同じ出来事が起きても一人でいたらドラマにならないことも、二人でいるとドラマになるように、人は人と干渉し合いながら生きている。

先日、アイノライトのうみんちゅと呑んだ時に、自分が他人にどう見られているか、というよりも、他人に自分をどう見せるか、ということのほうが大事だよね、とセルフプロデュースについて大いに語り合ったのだけど、歩き方からビールの呑み方、腕の組み方から女の子の胸の揉み方まで研究した人間のそれは、明らかに他の人間のそれとは違うし、楽器を弾いてステージに立つ人間なら、どうしたらカッコ良く見せれるのか、と鏡を見て動きながら研究した人もきっと多かろう。

髪型しかり服装しかり、そんなふうに自分のことに気を配っている行為を、ある人たちはナルシストと言うけれども、これは自分が大好きというよりも、コンプレックスだらけの自分を好きになりたいが故の思いが根っこにあるからなのだ。

でも正直、何がカッコいいかなんて正解は無いし、そんなの分からないよね。
その辺については過去のワンタイで語っているので興味のある方は是非そちらを。
『カッコいいを語る』

人が人と干渉し合いながら生きている以上、自分のことを理解してもらえないことはとても寂しいことだ。
心の中が醜くうごめく時の元凶が嫉妬にあるとすれば、自分のことを正当に理解なり評価してもらえないというのは、小さな棘がいつまで経っても指先から抜けてくれないような、そんな感覚や気持ちになるものだ。
かといって、分かってもらおう分かってもらおうとして心を右往左往させてしまえば、自分の持ち味からどんどんかけ離れていってしまう。
かといって、平然と振舞っていれば、あの人は図太い人、との誤解を受けることもあるかもしれない。
そう考えると、それぞれのやり方は異なっていても、胸の中で感じている痛みややるせなさに大した変わりはないのだと思う。

普段優しい人がたまたま一度怒っただけで印象を損なうことがあったり、普段ムスッとしている人がたまたま一度優しくしてくれただけで印象が良くなったり、まったくイメージってヤツはダメージですよね。

それでも傍にいて本質に気付いてくれる人はいる。
だからそこを気付いてくれる人を大事にすればいいんです。
願わくば、その気付いてくれた人がそんな自分を見て、まったく見栄っ張りでしょうがない人ね、とこっそり笑ってくれたらなお嬉しい。
何か今回はちっとも曲の解説になっていないし、プチどころかガチになってしまったが、せめてこのPVを観てくれた人たちの中で、この曲の本質に少しでも気付いてくれる人がいてくれたら嬉しいです。

しかしそれにしても、iPod nanoだけで撮影したこのPVは、素人編集ながら本当に楽しかった!

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